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早稲田卒ニート181日目〜語義と精神〜

自ら納得し主体的に行為される"duty"に対して、その翻訳後である「義務」という言葉には、強制力に対する仕様のない服従という意味が付き纏っている。給料が払われてもなおそこからかなりの割合で引かれていく税金は、納税の義務として労働者を苦しめる。納得して主体的に税金を納めている人がどれだけいるのか知らないが、節税を試みて様々な策を取る人がいる以上、不満を持つ人がいるのは確かである。そして、ほとんどの国民は勝手に引かれていく税金に対してなす術なく、それを仕様のないものとして屈服しているように思う。

"mother-in-law"は「義理の母」と訳される。たとえ血縁関係になかろうとも愛によって、或いは愛とまでは言わずしても、親近感にでも結ばれて然るべき「家族」という共同体さえ、そこに「義」という文字があるだけでやはり、どこか仕様のない関係に見えてくる。「義理チョコ」という言葉がある様に、「義理」と「愛」とは別物であるという意味だからである。

自覚的であるかどうかは別として、身の回りに溢れる近代日本語が持つニュアンスは、それによって思考し生きる我々の精神の在り方を左右している。そこで、言葉の成り立ちを知る、または語源を探るという行為は、我々の精神の在り方を見直すための有効策である。

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