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大成を期せんが為の勇気を持て

はじめに

徐慶太は一番最初に声を掛けた同期だ。
そんな彼から最後に指名を受けるのは運命なのかも知れない。

彼は無限のポテンシャルを持ち、弊部の10番として活躍してくれました。
同じ1浪の身として、常日頃から学生生活の”価値”を思考する数少ない仲間であり、共に法学部副専攻を履修し、学業面でも共に戦う戦友です。
一時は法曹を志していたとかいないとか。

人生との狭間で考える事は多かったかも知れないけれど、4年間着いて来てくれてありがとう。
同じ1休(1年休学)の身として今年度も宜しく。

大成を期せんが為の勇気を持て

これは弊部のスピリットであり、弊学創設者である大隈重信が遺した言葉を一部引用した言葉である。

「学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である。しかし、卑しくも大成を期せんには、先ずこれらすべてを統ぶる意思の大いなる力がいる、これは勇気である」

『眞人』「力の養成」(1913(大正2)年刊行第29号)

私の4年間はこの言葉に尽きる。

様々な方から勇気を頂き、体育会昇格とその先の未来へ挑戦するその1歩を踏み出すことが叶いました。
今日までの4年間は、ひたすら頭を使い、手を動かし、足を運んだ。
そんな自負があります。


背叛

私は高校を卒業し、現役で東京理科大学に進学したが、1年間の仮面浪人を経て早稲田大学に入学した。
仮面浪人中は早稲田大学での学生生活を何度も思い描いた。
”歴史ある早稲田大学の体育会に所属し、早稲田大学の交換留学制度を用いてオックスフォード大学へ留学し、大学在学中に公認会計士試験に合格する”
そんな泡沫の夢を胸に、毎日机に向かっていた。

そんな大志を抱いて入学した私の大学1年生は、思い描いていた夢と大きく乖離していた。
夢だった体育会には所属せず、留学選考項目であるGPAは前期に0.6を叩き出し、折れ目のない参考書が棚に並んでいた。

体育会の門を1人で叩く勇気はなく、自分の人生に対する展望もなく、「今ある現実も素晴らしいではないか」と必死に自分に言い聞かせていた。

邂逅

そんな時だった。
同学部の学友として机を並べ、私同様に現実に辟易していたであろう柳瀬直矢に声をかけられる。

「俺も体育会の門を1人で叩く勇気はないが、2人で共に門を叩かないか」

何か重い肩の荷が降りた。そんな感覚だった。
「1人で闘う必要はない」そう言われたように感じた。
約1ヶ月後には別の道を歩むとも知らずに。

既に初夏に差し掛かり、新入部員を受け入れている体育会はごく僅かであった。
部員の大半が競技未経験者で構成される体育会は、限定的に新入部員を募集しており、早稲田大学体育会米式蹴球部と早稲田大学体育会ラクロス部の体験練習に2人で参加し、後者への仮入部を決めた。

約1ヶ月ほど、毎朝4時に起床し、始発で東伏見へ向かった。
仮入部期間を終え、遂に夢の”入部届”を手に入れた。
”入部届”は、当時の新人監督である森一輝先輩から手渡された。
たった一枚の紙切れを受け取るのにその手が震えた。
「これで俺も体育会の一員になれる」「大学日本一に貢献出来る」そう思った。

そんな心の躍動も束の間だった。

「俺は大学でラクロスを『やりたい』のか」

そんな疑問が脳裏に浮かんだ。

中学時代は中体連サッカー部とF下部を兼部し、高校時代は高体連サッカー部に在籍した。そんな自分にとって、脚を使うスポーツから腕を使うスポーツへの転向には戸惑いがあった。

体育会への憧憬に、競技への心理的抵抗感が抗っていた。

「俺はサッカーかフットサルが『やりたい』」
これは私にとって本能的で直観的な志向だった。

しかし、早稲田大学ア式蹴球部は今季の新入部員募集を既に終え、自分の身の回りには来季の新入部員募集に備え、”体育会浪人”を覚悟している学友さえいた。
勿論、”体育会浪人”を経たとしても入部出来る保証などどこにもない。

疑念

「なぜ体育会は閉鎖的なのか」
「体育会の存在意義とは何か」

そんな疑念を”体育会”に覚えた。
潜在的には、自らの怠慢が招いた結果に対する不満の矛先を、”体育会”へ向けていたのかも知れない。

体育会の存在意義

私は前述の問いを思考するに際し、まずは”体育会”の定義付けから始めた。

そもそも、大学は高等”教育”機関であり、更には人生”最後”の教育機関である。

体育会はそんな”最後”の高等教育機関に内在する。
つまり、体育会も”教育”機関に他ならない。
「体育会=教育機関」
これが体育会に対する私の定義だ。

ならば、”教育機関”である体育会で学べる事は何か。
”教育機関”である体育会は、その”学び”を通じてどのような人材を育成したいと志向するのか。

「この疑問には、普段から体育会学生の”学びを取り扱う”、企業採用担当者や職業紹介事業者が既に答えを導き出しているだろう」
そんな安直な考えに導かれ、「体育会で学べる事は何か」「体育会人材の魅力とは何か」と、私は同じ質問を繰り返した。

「忍耐力」「上意下達耐性」「継続力」「責任感」「人間関係構築力」

返される言葉はいつも月並みで、釈然としない。

「彼らは忍耐力や継続力、人間関係構築力を求めて体育会を志すのか」
「彼らは自らに責任感を醸成するために体育会を志すのか」
「彼らは上意下達組織への耐性を求めているのか」
疑念は深まる一方だった。

しかし、私にとって、彼らが体育会を志す理由は単純明快だった。

「そのスポーツが『やりたい』から」

読者の中には、そんな淡白な答えに「退屈極まりない」と憤りを覚える方もいらっしゃる事でしょう。
しかし、これが辿り着いた答えだった。
私らしく、本能的で直観的な答えだった。

ならば、『やりたい』から学ぶことは何か。

私は仮説を立てた。
「そのスポーツを『やる』ために何が必要なのかを思考し、実現するために主体的に行動する事が出来る人材を体育会は育成出来るのではないか」
「転じて、卒部後は自身が身を置く業界の 『やりたい』を思考し、実現するために主体的に行動できる人材を体育会は育成出来るのではないか」
これが私にとって体育会の”教育論”となった。

体育会の現在地

現在の体育会は過渡期にあるものの、「閉鎖的」「過保護」「競技力偏重主義」そんな言葉が並び、二極化が進む。

「ユニフォームへの広告掲示が生み出せる価値とは」
「監督やコーチはクラブの何に共感し、誰が招聘し、年棒は幾らなのか」
「クラブの事業計画や経営方針は誰が決定するのか」

殆どの体育会学生は知る由もないだろう。
そして何事もなかったかの如く卒部していく。
自身が『やりたい』ことを”実現”させるために何が必要な事なのかも思考せず。
そんな人材が社会の『やりたい』を思考し実現まで導けるのだろうか。

「体育会は教育機関としての存在意義を失っている」

これが、私が導いた結論であった。

衝動

疑念は衝動へと変わる。
「閉鎖的な体育会を変えたい」
「誰もがいつでも挑戦出来る、そんな体育会を創りたい」
「”教育機関”としての体育会の存在意義を取り戻したい」

現在の体育会に於いて、彼らがより本能的で直観的な選択を下しているという前提に立てば、本来的に「体育会に何を学びに行くか」という質問は愚問極まりない。
大学生を社会人と執拗に同一視する必要はない。
だからこそ、そこに”教育”が介在する余地があるのだから。

体育各部は自らの存在意義を問い直し、将来画を描き、”教育論”を思考し、打ち手に意味付けを行うことが求められる。
この意味付けがなければ、”大学日本一”にも本質的な価値はない。

選択肢

私の『やりたい』に従えば、残された選択肢は2つだった。

早稲田大学ア式蹴球部へ入部し、内部から体育会の変革に挑戦する。
早稲田大学体育会フットサル部を創部し、外部から体育会の変革に挑戦する。

前者は、創部100年を迎えるクラブだ。
そんなクラブを、私はたった4年間という短い期間で”骨の髄まで”変えられるのか。
「それは傲慢だ」

私は後者の選択肢を選んだ。
私が『やりたい』フットサルで、”新時代の体育会”を創り、既存の体育会まで理念を訴求させる。

俺たちの体育会論

弊部はミッションとして『Take The Initiative From WASEDA』を掲げる。
弊部は”新体育会”を志向し、”体育会”、大学フットサル界そして日本フットサル界に挑戦する。
そして、18年後の体育会昇格時迄の中長期ビジョンとして、弊部は『自走する体育会』を掲げ、渉外から経営企画に至るまで学生主体で挑み、”人財”を育成する。

具体的な弊部の”打ち手”について論じるのはまたの機会に。

読者の中にはこんな疑問を抱えている方もいらっしゃるだろう。
「”新体育会”へ体育会を経由することは必要か」
最後はこの問いを思考したい。

結論としては、
「必要だ」

”新体育会”の理念を既存の体育会に訴求するには、まずは同じ土俵に立ち、同じ目線から未来を指差し、先導者たる事が不可欠だ。

東京証券取引所は昨年60年振りに株式市場の再編を行なった。
再編成の対象は勿論上場企業であり、既存の体育会だ。
18年後、例え概念上であったとしても、体育会の再編は必至だ。
18年後もプライム市場に上場を維持出来る体育会は何処か。
市場再編の主導権、いや、”Initiative”を握るのは何処か。


勇気

「勇気」と聞くと自責思考に陥るが、私の”勇気”の99%は他者が与えてくれた。
決してトーマス•エジソンの言葉を引用している訳ではない。
最後に、私に挑戦する勇気を与えてくれた全ての方々への感謝を込めて、弊部の歴史に触れる。

ZOTT WASEDA FUSAL CLUB
清野潤 代表

2020年3月17日、春風が吹く暖かい日だった。
スターバックス高田馬場店で、清野代表と初めてお会いした。

当時弊部は、私が中学時代にお世話になったF下部の人脈を頼り、同運営会社との提携を進めていた。
しかし、練習環境や指導環境等を始めとする課題に直面し、提携は思うように進まなかった。

清野代表の第一声は今でも記憶に新しい。

「俺の夢の一つだ」

そう仰って頂いた時、あの時と同じ感覚を覚えた。
柳瀬直矢に背中を押して貰った時。
森一輝先輩に入部届を貰った時。
それと同時に、自分1人だけの夢ではない事を自覚した。

結果として、弊部は練習環境や指導環境だけではなく、弊部の夢を一緒に描いて頂ける清野代表を始めとするZOTT WASEDA FUTSAL CLUBの皆様方との提携に舵を切った。

弊部は、清野代表を始めとするZOTT WASEDA FUTSAL CLUBの皆様方からの多大なるご尽力を賜り、今があります。

18年後、清野代表の夢を叶えられるようにこれからも弊部一丸となり努力して参ります。
”早稲田”から共に”体育会”、大学フットサル界そして日本フットサル界に挑戦します。

近藤宏樹 監督

2020年2月5日、寒空の下、未だ白い吐息が立つフットサルステージ多摩で、近藤監督と初めてお会いした。残念ながら現在は人工芝化され、聖地巡礼は叶わない。

実は、清野代表と私を繋いで頂いたのも近藤監督であり、弊部を早くから知る人物の1人である。

当時の近藤監督は未だ”監督”ではなく、早稲田大学教育学部の4年生だった。
ただ、「この人が弊部の最初の監督になる」と、心の中で何故かそう確信していた。

卒業後の2021年、夢は現実となり、近藤監督が弊部の監督に就任した。
就任1期目はコロナ禍もあり十分な活動機会に恵まれず、全日本大学フットサル選手権大会への出場も叶わなかった。
弊部として十分な指導環境を整える事も叶わず、東京都大学フットサルリーグでは勝ち点0を積み上げていた。

就任2期目、創部1期生の最終シーズンでは、全日本大学フットサル選手権大会への出場も叶い、東京都大学フットサルリーグの全試合を消化する事が叶った。
そしてそこに、前年度の様な弊部の弱さは垣間見えなかった。

開幕戦の多摩大戦では、試合終盤に土壇場で追い付き、勝ち点を分け合った。
この日、近藤監督が創り上げたPPが光った。
この日からだろう、早稲田大学のPPが他大学から「早稲田タイム」と呼ばれ、脅威と言わしめた。

続く立教大学戦、桜美林大学戦では順調に勝ち点を積み上げていった。
学習院大学戦、明治学院大学戦では難しい試合展開を強いられたものの、東京工業大学戦、東京大学戦では”早稲田らしさ”を取り戻していた。
最終節となった早慶戦では、会場全体を唸らせ、観客を釘付けにした。

最終的に、弊部は関東入替戦や東京六大学選手権決勝まで駒を進め、夢の実現まであと一歩まで迫っていた。

近藤監督は、当時フットサルステージ多摩に5人しか集められなかった弊部を、たった2年で夢の舞台に立たせた。
今季就任3期目を迎える近藤監督は弊部にどのような仕掛けを施すのか。
創部1期生が卒部した弊部がどのような進化を見せるのか。

それは近藤監督の手腕にかかっている。

今季の早稲田大学はどこに辿り着けるか。
今季の早稲田大学にどのような”勇気”を与えてくれるのか。
楽しみだ。

ここまで論じると、競技面に目を引かれるが、事業面でも多大なるご尽力を賜っております。
それはまた次回、お話しする事に致しましょう。

弊部の未来を創り上げる、そんな近藤監督に改めて感謝申し上げます。

東京都フットサル連盟
藤森雅義 専務理事

弊部は、2020年より東京都大学フットサルリーグへ参入した。

前年夏、蒸し暑い予備校の自習室を抜け出し、非常階段から1本の電話を掛けた。
東京都大学フットサルリーグへの参入可否について問い合わせた。
2019年当時の新規加盟募集要項には、体育会のみ加盟が認められる旨定められていたからだ。

この電話が、藤森専務理事との最初の会話だった。

「早稲田大学体育会フットサル部を創部して東京都大学フットサルリーグへ参入したい」
私は単刀直入に尋ねた。

「来季からは”体育会昇格”を志す大学も加盟を認める方向で検討している」
藤森専務理事の答えに私は運命を感じた。
それと同時に、大学フットサル界の裾野を広げ、”体育会昇格”を志す大学にも挑戦の機会を与える藤森専務理事の考えに深く共感した。

2019年度は6大学が加盟していた同リーグも、2020年度には弊部と中央大学が加わり、2021年度には学習院大学、2022年度には立教大学がその後に続いた。
2023年度には更に3大学を迎え入れ、今季は13大学で構成される。

藤森専務理事は、まさに大学フットサル界を支える第1人者だ。
藤森専務理事に挑戦する”勇気”を頂いた1人であるからこそ、その考えを具現化する為に、頭を使い、手を動かし、足を運んだ。

2021年度は、東京都フットサル連盟学連委員長を引き受け、コロナ禍で慎重な組織運営が求められる中、2大会連続で開催中止に追い込まれた全日本大学フットサル大会の代替開催に踏み切った。

2022年度には、弊部を中心に東京六大学フットサル連盟を発足させ、第1回東京六大学フットサル選手権では東京都フットサル連盟から後援を受けた。
当時未加盟であった明治大学と法政大学を同リーグに迎え、東京都大学フットサルリーグへの新規加盟の足掛かりとなればと考えていた。

更に、2022年度末には第1回全国大学フットサル新人戦の開催に漕ぎ着け、大学フットサル界に未だ嘗て無かった”新人戦”という新しい価値を創造した。

2023年度は、更なる大学フットサル界への貢献を目指し、4年前の恩返しができる様に最終最後の努力をさせて頂きます。

私や弊部を始めとする大学フットサル界に”勇気”を与えてくれた藤森専務理事に改めて感謝申し上げます。

同期と後輩たちへ

経営資源を構成する三大要素は「ヒト」「カネ」「モノ」であるが、本質的に重要な要素は「ヒト」ただ一つだ。

「ヒト」は「カネ」を生み、「モノ」を創る。
そして、弊部とって一番重要な「ヒト」とは、創部1期生とその背中を追う後輩たちである。

弊部の歴史を創り、未来へ挑戦出来るのは彼らであり、未来への切符は常に彼らが持つ。

先の見えない未来に彩りを与えてくれた同期、そして先の見えない未来に奥行きを与えてくれた後輩に心から感謝しています。

ありがとう。

早稲田大学フットサル部に関わる全ての方へ

西村祐飛コーチ、藤川優佑GKコーチ、水地巧騎トレーナー、弊部パートナー・スポンサー・サプライヤー企業の皆様方、その他早稲田大学フットサル部に関わる全ての方に御礼申し上げます。

両親へ

母は私に挑戦への”勇気”と夢への自己肯定力を与えてくれました。
父は私に挑戦への”勇気”と夢への自己肯定力に実現への手段を与えてくれました。

いつもありがとう。

最後に

私に学生として残された時間はあと1年。
最後の年は、理想の部員像である”競技”と”事業”の両立を目指す。

それではまた。

早稲田大学フットサル部 代表 田中英智朗











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