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学ぶとは?

今夏、中国政府が学習塾に対して出した「利益を出してはいけない」という規制については中国国内でも賛否両論だが、日本でも加熱する「塾・習い事」は本当に子供たちのためになっているのだろうか?あるいは未来を創る人材育成の観点からみると、社会変革期の今、私は自分自身の従来の考え方を改める機会だと感じている。

中国の背景には、一人っ子政策を長年実施してきたツケが出て日本よりも深刻な少子化問題があり、その少子化問題を解消したいがための政策として学習塾を廃止する動きになっている(子供が一人のため、その子供に毎年多額の塾経費をかけ高校までに約4000万円の教育費がかかると試算されており、その金額負担から益々子供を産まなくなると考えた政府が塾を廃止する政策をとった)。

日本とりわけ我が家の子供が通う学校の友達の話を聴いていても週のほとんどは放課後なんらかの塾や習い事に通っている。通う理由は様々だが多くの家庭では「周りが通っていて今後の中学受験や高校受験等を考えた時、1点で当落が決すると聴くので合格するためには通わせないと」という本音が聞こえてくる。

色々な考えがあって善いのだが、我が家は特に中学受験など考えていないため学習塾は週1でしか通っていない。それも子供が塾の先生が大好きで「塾の先生と話したいから」ということで通っている。実は昨年までは我が家も「中高一貫校もしくは大学まである中学校へ進学したほうが受験が1回で済むから中学入学後の生活が充実知るのではないか」と考え学習塾へ頻繁に通わせていたのだが、見ていると塾の先生は大好きだけど勉強量の負担が大きそうだったので子供と話し合い週1回に変更した。少し不安があったが、塾の回数を減らしたことで子供が活き活きと自分時間を使う用になり、勉強も以前よりするようになった。

「子供が小さいから親がある程度は形を作ってあげないといけない」と思うものの「親が創りすぎてもいけない」ということも学んだ。また、親の「周りが通わせているのでその焦りや自分の安心感を増幅させるために通わせているのではないか?本当にこの子のためになるのか?」とも考えた。小さい頃は親に言われて、わからないまま塾に通っていた子供も自我が芽生え少しずつ視野が拡がってくると自分の意志でやりたいことやそうでない事、得意な事や時間をかけて取り組みたいこと等を考えるようになったのだろう。今は自分でタイムスケジュールを考えて自分の好きな事をする時間も確保し勉強する時間も創れているようだ。「やらされ感からやりがい感」とは私が常に仕事で大事にしている事だが自分が子供に対して出来ていなかった事に気づかされた場面だった。

また、昨今の大きな社会変化をみていると「何のために大学へ行くのか?」と考えることが多くなった。大学では社会へ出るまでの多くの体験機会が得られることや学問を追求する等多くの有意義なことがあることは承知しているが、一昔前の様な「いい会社に入り収入を得て豊かな人生を送るため」という目的で難関校を目指し、そのために塾へ通うのであれば、私は疑問を持っている。

正解の無い話だが、私が社会人になって経験したことを考えると「自分で夢を描ける人。その夢に向かって取組める人。課題を見つけたら自ら進んで直せる人。周囲と協力しながら進められる人。相手の立場になって考えられる人。」に子供には育ってほしいと思っている。そのことを考えた時に塾や習い事を「親からの押し付け」ではなく「子どもが自分で選択」できるように整えてあげられるように努めようと思う。

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