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うらかたり 第27話

裏方が語る舞台の裏側の物語『うらかたり』と題して、どらま館制作部技術班が更新するnote記事企画。
今回は第27話を公開いたします。

こんにちは。どらま館スタッフの大澤萌です。
今年度第3弾の『うらかたり』は、劇団木霊スタッフの目黒ほのかさんに書いて頂きました。
様々な公演で衣装を担当されてきたご経験に加え、私たち人間の身体や声についても、すてきな言葉をよせてくださいました。ぜひご覧ください。

それでは、よろしくお願い致します!

🦀皆さんこんにちは🦀 劇団木霊4年代スタッフの目黒ほのかと申します。今回のうらかたりは衣装がテーマということで、わたしがいままでトップを務めた公演の衣装をいくつか振り返りながら、最後に依然こんがらがっていることをちょっと言ってみちゃったり疲れはてて黙っちゃったりして、やっていきたいと思います。よろしくお願いします~🦀

🦀もくじ🦀
①衣装、ふりかえる。
②衣装ではないもの、ふりかえる。
③玉ねぎの皮と声

①衣装、ふりかえる。

わたしは、大学に入ってから演劇をはじめました。最初は舞台美術をやる気で入ったのですが、仮入団期間の衣装ワークショップが楽しかった & 志望者が少なかった という理由で衣装に流れ着きました(わたしは中学校の吹奏楽部の楽器決めもまったく同じ理由でトランペットになりました)。さて、衣装どんなんがあったか挙げてみます。

劇団木霊2020年本公演『トランス』(2020年)
劇団木霊新人公演『真空のジェンガ』(2020年)
劇団木霊□□公演『はらいそ少女解脱教』(2021年)

オ~、いろいろありますね。私はだいたい、衣装プランを考えるときこんな順番です。

①色・模様
②形
③素材

衣装は舞台上のかなりの空間を占める視覚情報なので、特に色や模様はすごく気になります。一目見てどういう印象をあたえるかみたいな感じです。具体的には、舞台美術とどういう相性かとか、その役の気質・感じを何の色/模様と紐づけるかとかです。まず上がってきた脚本を読んで、役の設定資料とかもいただいて、役のキーワードをいくつか拾います。そこから①~④を考えていくのですが、例えば、劇団木霊□□公演『はらいそ少女解脱教』(2021年)のときの最初の方はこんな感じでした。

ききょう
🔑リーダー、ジレンマ
→柔と硬の素材を混ぜる、反対色を入れる
🎨赤(⇔水色)

ひかり
🔑世話やき、甘えた
→動きやすい、すっきりかつ丸
🎨ピンク、アイボリー

いずみ
🔑ひねくれ、文化興味
→アシンメトリー、異文化、四角、ミリタリーみ
🎨彩度の低い青

あすか
🔑祀られていた、アイデンティティ拡散
→神聖、動きにくそう、柄があるか形が特徴的
🎨白

こゆき
🔑祀られてたその②、独自
→神聖、動きにくそう、精神世界、幾何学模様
🎨黒

ラウル
🔑知識豊か、気さくでオーバー、躁うつ、大人、文化的国境
→明るい色の羽織と暗い色のインナー、ちぐはぐ
🎨オレンジ、紫、グレー

上に載せた画像を見返していただくと、最初のメモのまま進んだのもあれば、進まなかったのもあることが分かります。ききょうにはフェイクレザーのコルセットとシフォン生地のトップスになったけど、いずみのミリタリーみは途中でさよならしました。そのアイテムが持つ記号性を慎重に読んでやめることもあれば、単純にイメージ通りのアイテムが(※※予算内で※※)見つけられなかったということも多々あります。ない、ない!! みたいな感じで追い詰められすぎて自分の親指を捥ぎそうになることはありますが、結果手元に集ったものたちがなんだかんだパワー発揮してくれるので捥がなくて良かったです。

わたしの衣装の目指す地点を今むりやりひねり出すと、「そう言われればそんな感じがした衣装」です。役同士の関係性や時代・場所設定を衣装で掴みやすくするということはもちろん考えるのですが、その中で色も模様も形も素材も、一つひとつにわたしなりの意図を仕込んで、役割を示す分かりやすさだけでない何かを印象として受け取ってもらえる総体に仕立てる(かっこいい)。で上演が進んだり終わったりした後に衣装を思い返すと、「ア~、そう言われれば衣装そんな感じがしたワ~」みたいな。もっと詳細に写真とか見返すと、意外とここにこのモチーフあったんかい(ミッケ!)みたいな。そういう感じです、「そう言われればそんな感じがした衣装」。

あとは、衣装/服におけるコードやモラルに敢えて違和感を持たせて、衣装というものに自覚的になるという上級テクニックに挑みたいとも思っています。「あの襟全体で見たら階級的にちょっと浮いてね合わせんの下手じゃね~」と思わせるみたいな。わたしは日常から、規範の枠をしれっとはみ出していかに周りの規範の枠に影響を与えられるかを楽しむ系の設定になるときがあるので、衣装をやるときもそういう楽しみ方をしたいと思ってます。演劇において衣装を読みものとするときの、コードとしての分かりやすさは非常に重要である一方、みんな普段から日常で服読みとってるよね~シャツにはジャケット、男性にはパンツみたいな了解に乗ってるよね~でも衣装なら衣装ってことでわたしのひと声でその了解裏切り放題です!!!! どうですか見てて/着てて変な気持ちしますか!!!! それってどこに枠あるんですかね!!!! と内心叫びながらたいてい顔は平然とさせています。

しかし偉そうにいいながらわたしはすぐに(すぐに)ヒヨるので、ウワーんこの場合は分かりやすさとズラシどっちとったらいいの~~号泣~~となって8割くらいは分かりやすさ選んじゃいます。衣服はものすごく社会的なものだと思うので、規範を固めることもできれば脱出のきっかけにすることもできる。衣装をやっていると、規範を固定化することの繰り返しが仕事の大半なんじゃないかと思えることもあります。だって、街中ではすごく優しい人が薄ピンクではなく蛍光イエローを着ていることだってある。悩みは尽きません。でもあきらめないで~~エ~~~

②衣装ではないもの、ふりかえる。

さらっと、演劇の衣装ではないけど、衣服のようなものをつくった例も挙げてみます。こっちはわたしなりに真っ直ぐに、衣服が衣服であることや、もっと言えば人間の身体がこういう(どういう?)身体であることに自覚的になりたいという動機がはしっています。頭に顔とか目がついてると身長によって威圧/被威圧がある気がしてやだな~、頭が足だったらだいたい平らなのにな~、とか、既製服のコードに乗るだけじゃなくて、そこに・すでに・ある多様で複雑な自己を染み出すような服が着られたらな~、とか!

「平らに稽古するだけ」 @早稲田小劇場どらま館(2022年)

▲ゼミ制作『bricolage_clothes』

③玉ねぎの皮と声

かつて劇団木霊本公演(2020年)でこういう衣装ブログを書いたことがあります。

このブログの最後の方で自己を玉ねぎに例えてるんですけど、今回は玉ねぎの一番外側の茶色いセロハンみたいな皮としての「衣服/衣装」と、「声」の関係性について話します。といっても、わたしは中学生のときから声に異様な執着があって、以来声のことをずっと考えているのですが、まったくよく分かりませんのでこの場をお借りしてチャレンジしてみます。

まず、声というのは、(基本的には)目に見えない内臓を震わせて、それが肉や空気に伝っていって、自分の輪郭の外へ届くものなのですね。つまり声の起点は、裸の身体に依存していると言えそうです。さらに言い換えるなら、声は、徹底的に私的な、すっぴんの身体のあらわれなのではないでしょうか。

しかし一方で、声は、聴こえる場合は無差別に、内臓から発せられる振動を持ってして鼓膜等に触れる、日常的に他者に開かれた身体性でもあるかもしれないです。声を扱い/聴くひとびとは、日常において数少ない、相手のすっぴんの身体に触れるようなやりとりの一つとして、声を交わしているのではないでしょうか。声は、私的に占有されていながら、公的に交換されてもいる、非常に生々しくその人物を代表する身体性だと言えるかもしれません。

以上の意味で、声は、自他との関係の中で、その人の私的なすっぴんの身体を、他者に代表する身体性として、流通することがあるのではないかと思います。

自己玉ねぎに話を戻すと、声は、自己に関するもののなかでも、自由に自分で選べるものではない感じします。玉ねぎの奥ふかくに、その起点がねっとり固定されているような。それはこの身体が、自分で選べたものではないからです。しかも、声はそれ自体目に見えうるかたちがあるわけではないので、身体に対する衣服のように、自他によってそれに外的なものを付け加えて表現を変化させることは、(特に対面上のコミュニケーションにおいては)たぶん難しいです。でも声は振動で、玉ねぎの奥深くに起点が固定されていながら、振動として層を外側へ伝っていくことで自己をみたしてます。それは声が、言葉を扱いうるからだとも思います。(ところでわたしは何か考えるとき、いつもわたしの声が脳内でしゃべり続けています。)

だから声は、その人の身体がどうであるか(例えば身体の性の特徴)や、それに基づいて獲得されるような社会的・文化的アイデンティティ(例えばジェンダー)がどうであるかを、他者に対して率直にあらわす要素であると思われがちかもしれません(ここにも規範がたくさんある)。しかしここで、その声に結び付けられるような、「期待された」衣服/衣装を身にまとう場合、「声」はその「衣服/衣装」と強く結びつき、「こういう声の人はこういう身体像」あるいは「こういう身体の性の特徴/ジェンダーの人はこういう身体像」という規範をさらに強めることになりそうです。でも、思い出してみると、「声」の起点である内臓を変えることが困難である一方、「衣服/衣装」は、ブログにも書いた通り、社会的・文化的アイデンティティと「確かに隣接してはいるけど、剥がしたり張り替えたりできる皮」です。だからほんとうは、その「声」に「期待された」以外の衣服/衣装だって身に纏えるはずで、そこに自己のあり方と社会との距離を測るきっかけがある。言い換えるなら、社会や文化の「期待」を裏切ったりズレを生んだりしながら、自己と社会との関係をはかってみようとするときに、「声」という手に触れないけれど充満するアイデンティティを軸にして、それと「衣服/衣装」という手に触れる装置との関係を考えていくことは、効果的であると思うのです。

「衣服/衣装」と「声」は、お互いがお互いにとっての加速装置であり、だからこそ障壁でもある気がします。こういう性格の人がこういう服装である、というのがしばしば的外れであるように、こういう声の人はこういう服装であるはず、というのも、いつのまにか刷り込まれてるだけで、ほんとうはもっと自由なのかもしれない。じゃあ考えるより体験してみない!? 声優さんっていうのは...... というのがわたしのいつもの方向なのですが、流石に長くなってきたしこの辺でやめようと思います……ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。おかげで少しは考えが進んだ気がしています。いろいろ長々と申しましたが、何といってもこの季節、寒いときはとにかく重ね着ですね。服、あたたかいですから、すごいです!!!!

目黒ほのか
劇団木霊4年代スタッフ。主に衣装や映像配信を担当。ほか、詩を書いたり弾き語りをしたりクレヨンで絵を描いたりする。声優ラジオを1日5時間聞いて生きている。いろんな恰好をする。

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