いつかの日記(9) (引越し、新しい街、池辺葵『ブランチライン』)

一言二言日記つづき。

--------------------------

引越しを終えた。どういう状態が引越しの「終わり」なのかよくわからないけれど、とにもかくにも、小さな部屋から新たな、さらに小さな部屋へと住まいを移すことを完了した…旧居において処理しきれなかった若干の不用品と、大量の「不用なのかいまいち判断がつかなかったもの」を携えて。
「断捨離」って、判断を保留させる情報や思惑を全てノイズとして、ひたすらoffる、そのノイズキャンセリングがどこまでできるかの戦いになりがちだ。○△×の△(=いつか使うかも・誰かにあげられるかも・なんか勿体無いかも…等々)をできる限り無くし、まるっと×(=捨てる!)とみなすことで○(=残すべき・本当に必要!)が見えてくる…という理屈だが、その前提にある「人生に本当に必要なものなんか真正面から考えてもわからん」というスタンスは、かなり潔い諦めであり消費社会の乗りこなし方である。ごちゃごちゃ言うとりますが今回それをやり切れなかった、半端に手をつけてたくさんの△を引き連れてきてしまった、という話…。

--------------------------

引越して数日の夕暮れ時、目に映るすべてが新しい街で、夏祭りに鉢合わせた。この街に私よりも長く住むたくさんの子供達、大人達。自分はちゃんと「住人」の顔ができているだろうかとどこか落ち着かない心地で、おずおずと近づく。開かれた公園に立派なやぐらが立ち、熟練を感じさせる太鼓のもとに、盆踊りが延々と。
盆踊り。showではなく、joinのための舞踊。普段は踊らない者たちの舞踊。輪を成し、人を真似た動作を、また別の人が真似、共鳴とズレの数珠繋ぎが巻き起こす奇怪な渦は、立ち寄る者を「踊る人」に変えていく。全体のぎこちなさがさらに人を呼び、惹きつけ、大らかに飲み込む。

気まぐれに綻びながら拡大と縮小を繰り返す人の輪が、深呼吸の緩慢さで、この街のいつもの夕闇(私にとってはそれもまだ新鮮だが)に波紋を広げるのを見た。

--------------------------

池辺葵『ブランチライン』5巻。はぁすごい、ほんと同時代に生きさせてもらってありがとうございます…と拝みつつ読んだ。重なった食器の汚れ、扉の向こうに見える小さく老いた背中、見えないけれどどんな目をしているかわかる横顔。池辺葵の漫画には、基本的にめちゃくちゃ余白が多いのにも関わらず、私がいつか見たことのある景色だけはうろたえてしまうほど緻密に描かれているのだ。昔自分も同じような夢を見て同じような朝を迎えたことがあったな、というシーンがあって驚いた。これは私のための本だと思える作品が一つあれば、それだけで息が深く吸える。また歩くことができる。

--------------------------

つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?