いつかの日記(3)

ほぼ一言日記つづき。

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ある時古い美術雑誌をパラパラしていたら、フランク・ステラの自宅の写真があって、それが椅子だらけの部屋だった。色も形もサイズも異なる色々な椅子(ダイニングチェアもソファも)があっちこっちを向いて置かれ、その一つである一人掛けソファに埋もれるように本人が座っていた。客人と向き合って団欒するような配置でもなく、きっとただひとり、様々な座面に「腰掛けるため」だけの部屋。
最近ぼんやりと引っ越しを考えているが、どんな部屋にしようねぇと理想の住処を妄想する時なぜか、文脈を失った椅子達がばらばら集められたあの部屋を思い出す。くつろぎの空間には、機能性や合理性の綻びが必要である。椅子はあんなにたくさん要らないが、だからこそ要るのだ。われわれ一人ひとりに眠る創造性は、意味の中だけでは呼吸できないのです、…とたわごとを書き付けつつ、とっ散らかった自室を薄目で見ている。ああ引っ越したい。

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母と電話。たぬきが入ってこないよう、祖母宅の駐車スペースの扉(ガラガラ引いて開け閉めするやつ。カーゲートって言うらしい)をしっかり閉めておくようにと婆さんがうるさいが、閉めたところで下に隙間がある作りだからたぬきが入ってくるかどうかには関係ないと思う、というぼやきを聞く。

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休日の朝に目が覚めて、布団の中で音だけ聞いて今日は雨かぁ、と思う瞬間が好きである。

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以前ピアノの先生に教えてもらったEliane Eliasをたまに聴いている。南米育ちの陽気なBill Evansって感じがしてかっこいいんだけど、南米育ちで陽気だったらBill Evansではないな。

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久々に、賢すぎないがものわかりはよく、ふざけすぎないが冗談はわかる、みたいな「ちょうどいい塩梅」でふるまおうとしている自分に気がついてげんなりすることがあった。そういう時って心底げんなりするので、若い人たちには空虚なチューニングをさせたくない、周囲を気持ちよくさせる(かどうかもほんとのところはわからない)だけの「可愛げ」の船に彼らを押し込むようなことはしたくないなと思う。が、すでに不用意に何度もやってきてしまったとも思う。どこに行けるのかいずれ心許なくなる船の降り方は、誰も教えてくれないのに。
昔蹴飛ばした石ころがあちこちにぶつかったあげく、なぜか今更自分の足元に転がってきて、躓く。しっかり躓いてから、その石を拾う。そうやって歳をとっていくしかないのだろう。

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つづく。

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