見出し画像

「お金に換えられないモノ」の結論の出ない話3

ポッドキャストから入ってきた朗読


1時間半、作業をしながら惰性できいていたのだが、最後の10分の朗読に作業の手を止めて聞き入ってしまった。着物を誂える話。

選んでお金を払ったら、すぐに素敵な着物は手に入るのに、敢えて一つ一つ店を訪ねて丁寧に選んで誂える。人によっては無駄とも思えるこの費やした時間がお金では買えない付加価値になる。

でも、これって情で自己満足で受け手にとって重い時がある。

そんなことをわかっていながら、私は友人にこのポッドキャストのリンクとともに、わが母の形見の着物を貰ってくれないかと打診した。

私は着物を着ない。だから着物は要らない。かと言って十分に使える着物を捨てるのは忍びない。洋服にリメイクするために鋏を入れたくもない。メルカリで知らない人の手に渡るのもなんか嫌。だから最近、着物を着るようになった友人に引き継いで貰おうと思った。

でもこれって、友人には結構ありがた迷惑な話なんじゃないかと思った。着物を着るようになって、友人知人から着物を貰うことが多くなったと聞いている。持っているとメンテナンスも必要だ。それでも、着物を楽しむ友人の元へ行けば、友人ではなくても着物を楽しむ誰かのもとへ届くかもしれない。一抹の希望。でも、着物に宿る情から解放されたい私の勝手な思いだ。

友人は鋏を入れるのはもったいない着物だと言って引き受けてくれた。


これとは逆の立場になったことがある。20代のころの話。

友人がおばあちゃんの形見を受け取ってほしいと、ごっそり洋服やアクセサリーをくれたのだ。中には、どうにもならない布の端切れも入っていた。当時、ファッションリメイクを楽しんでいた私なら使ってくれるだろうと思ってのことだった。でも、本当にごっそり。一見ゴミかと思うような。

今も大事に使わせてもらっているアクセサリーもあるけれど、ヤフオクに出しちゃった物もあるし、どうすることもできずに廃棄してしまった物もある。特に洋服は、リメイクしても上手く活用できなかった。

十二分に活用できなかったけれど、あのゴッソリから得た経験は沢山ある。オーダーメードの洋服の仕立ての丁寧さを知ることができたし、ヤフオクに出した琥珀色のネックレスは本物だったと知った。端切れの布だって、素材もプリントも品質がとても良かった。あのゴッソリのおかげで私の眼は肥え、最近の物の品質が衰えているのを嘆き、古着や古道具を楽しめる人間になった。

物をモノとして守り続けることができなくても、自分の中にいい肥やしとなってくれたことはかけがえのないことだ。

この記事が参加している募集

#SDGsへの向き合い方

14,713件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?