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僕は君のことを何も知らない

こんなに生きてきても、まだ知らない感情に出会う。
まさに不惑。

たとえば先日観た『THE FIRST SLAM DUNK』。
バスケットボールをしている彼らを見ているだけで涙が溢れた。
あの感情を僕は知らない。はじめての涙だった。

たとえばこのところじんわりずっと続いているこの感情。
自分が生み出す全てが無意味に思えるこの感情を僕は知らない。
開幕舞台をいくつか控えてることをふまえても、はじめての感情だ。

はじめての感情に出会うと、ポジでもネガでも「ふむふむふむ」と記録する。どこかでまた出会うために。劇をつくる理由を、昔はよく考えていた。ような気がする。世界を変えたいとか何かを伝えたいとか、そういうことを探していた。ような気がする。でも今は知ってる。そんな力、ない。少なくとも自分がつくる劇にはない。長年続けてきてわかってる。僕は、自分がつくる劇よりも、すばらしいものが世の中にはたくさんあって、そっちの方が必要としている人がたくさんいることを知っている。

じゃあ何でやるのか。知りません分かりません。理由はないです。やりたいとかでもないです。もちろんやりたくないことってわけじゃないですけど。

たぶん、たった1人でもいい。はじめて感じた僕だけのあの感情が、誰かも感じたことのある感情なのか知りたいんだと思う。うん。最近は、そう思うんですよね。

突然ですが、創作記録という名のnoteをはじめます。
『愛しのボカン』ではPRODUCTION NOTEと呼ばれる文章を公開したし、これまでの悪い芝居でもwebサイトやblogやInstagramなんかでも似たようなものは公開してきたけれど、それらはあくまでも宣伝のために書かれた文章だった。ここでは、宣伝のためでなく、創作の過程でその時に感じていることを素直に書いてゆきたいと思う。なので、体裁の悪い文章もきっとここには生み出されるとは思うけど(もう生み出されてる気もするけど)、どうか大目に見てください。

僕は君のことを何にも知らない。
知らないからって何でも書けるというわけではないけれど、何にも知らない君のことを僕は仲間だと信じている。好きと言ってくれる人を仲間だとすぐに思っちゃう、そういうところが僕にはある。まだ好きと言われたわけじゃないけど。仲間だからといって、君は何者なのかを僕に教えなくていいし、僕の劇を観に来なくたっていい。僕がつくる演劇を、いつか死ぬその日まで、ずっと知らなくたっていい。互いが互いを何にも知らない所から始めて、知ってると知らないの真ん中くらいにまで行けたらいい。そんな場所にしたい。いつか行けたら、乾杯しましょ。

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