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コンテキスト #1

私は古のインターネットを知っている
中学生の頃、創作サイトを運営していた
サイトは今もある

もうこんな文章書けないだろう、と思うことがとても悔しい
でもこんなってどんなだろう、うまく言い表せないけど、描いた絵の、混ぜた絵の具の具合や筆のはらい方みたいなものなんだろう
私の作品はそんな偶然を積み重ねてできていた
そう考えたら、なんでもっと創作しなかったんだろうと悔しくなってきた
でもそれもまた、私に、偶然がたまたまなかっただけだ

大好きなねこちゃんが毛布をもむ
白くてふわふわしたまあるい手が繰り返し上下する、時々肉球を広げて爪が見える(爪の間には黒く垢がたまっていて、ねこちゃんがもうすぐ10歳であることを思い出す)
幸せいっぱいのこんな光景とか、詩には相応しくないかな、もっと悲しい、視界のシャープネスが高くて、色温度も低くて、どうしようもなく憂鬱だった頃のあの精神的な恐慌、そんなものばかりを創作に投影したがる、今も
でもねこちゃんの白くてふわふわなおてて、パラボラアンテナのようにくるくると音を集める素敵な三角のおみみ、そういうものは私のかけがえない、残したい、伝えたいものなので

いろんな創作がしたい
今まではなんとなく紙とペンかパソコンを持って創作に向き合いたかったけど、今回はスマホのフリックを駆使している
いつでも紙とペンを持つか、手段を選ばないか、これからどんな風にしようか

漢字にできるものはすべて漢字で書かなくてはいけない、というような強迫観念が強く生まれたことがあって(そういいつつ私はすべてとぜんぶだけはいつもひらがなで書きたいと思っている)、でも漢字やカタカナではなくひらがなを選ぶってすごく軽やかで自由な気がして、うらやましくなる
借りてきた寺山修司の身毒丸に、しんとく、せんさく、まま母とあって、とても憧れた

図書館は素晴らしい
勉強をする人(高校生、大人)、本棚を眺めている人、うろうろする人(私みたいな)、椅子に座って本を読む人、光を当てて本を除菌する人…
はじめて読む本を借りてもいいし、昔繰り返し読んでまた読みたい本を借りてもいい、買うとなるとそうはいかない気がする、読んだことのない本を買うのが望ましい気がする

ひらがなを選びとるような、そして図書館にあるような、自由
と創作

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