墓場珈琲店10。
「うちの珈琲店も、大分繁栄してきたな……」
俺は背伸びをしながら、呟いた。
愛しのコーヒーの匂いとか、暖かな温度とかを、胸いっぱいに抱いて笑う。
「オーナー、エスプレッソ一杯、だそうです」
「わかった。……もう一回、お前がやってみるかい?」
「え、いいんですか?」
「いいよ。見よう見まねでも、実践は、上達への近道だ」
「ありがとうございます!」
バイトは、ニッと笑って俺に背を向け、カウンターの奥へ向かった。
その間に俺は、マグカップの整理を行う。
マグカップは基本的に白一色だが、予備用のマグをいくつか持っていたり、気分転換用に灰色のものも持っていた。
ぶっちゃけ言って、白色より黒色の方が汚れは目立たず楽だ。
にもかかわらずなぜ白色のマグを使っているかというと、
黒色のマグより白色のそれのほうが、味を濃く感じるからである。
それはそうと、白色のマグを見ていると思い出すものがあった。
何年も前に死んだ父親が愛用していた、白いマグカップ。
それだった。
父はもう、『中継地』の奥へ行ったのだろうか。
もしまだ中継地にいるのなら、俺の珈琲店を見せてあげたかった。
父には到底敵わないだろうが、それでも、である。
「オーナー、できました~! 飲んでみて下さい!」
「おいおい、俺じゃなくて客に渡せ」
「はい……」
相変わらず痩せこけた体型のバイトは、しょんぼりして、
客の方へ歩いて行った。
俺はその背中を、静かに見送る。
「お待たせいたしましたー」
「ありがとう」
身長の低い、これまた痩せた客が、そのカップを受け取っていた。
常連、それもかなり早い段階からいた客である。
「マスター、ちょっといいかい?」
声をかけられて、俺は二人のやり取りから目を放し、
「なんだ?」と返した。
音源もといカウンターに座っているのは、高身長の男と一人の小学生。
「……エスプレッソと、この子のためにアメリカーノ一杯、頼む」
俺は曇った眼鏡を外し、二人の姿をよく目に映した。
間違いない、あの二人である。
「お前さん達、アメリカーノ&カフェモカ一筋だったじゃないか。
何か、心変わりでもあったのかい?」
彼は視線を下げた。
「いや、なんか……、ずっと同じ種類ってのも、飽きるじゃんか。
それに、うっすいコーヒーばっかりってのも、情けないからな」
「ぼくも、同じ理由です……」
ふーん、と俺は笑った。
「ようやくカフェモカ卒業か、お坊ちゃん?」
「ば、ばかにしないでくださ……」
彼は言い終わらぬうちに、俺から目を背けてしまった。
よく見ると、首元やら耳やらが真っ赤である。
「ははは、まだまだ人見知りが激しいな。そういう訳だから、宜しく頼む」
「はいよ」
バイトはちょうど戻ってきていたが、今度は彼女に頼むことなく、自分でカウンターの後ろへ向かった。
数分後、俺は白いマグを両手に持って、戻ってきた。
「はい、言われた通りの品だ。角砂糖は?」
「俺は、とりあえずいらない」
「……ふ、ふたつおねがいします」
アメリカーノを子供に、エスプレッソを大人の方に渡した。
そのあとでカウンターの戸棚から角砂糖入りのビンを取り出し、スプーンですくう。真っ白で美しい角砂糖は、一つあたり3~4gだ。
ちゃぽん、と音をたて、白い立方体が黒い液体に沈む。
なぜか手を出そうとしない子供に代わって、男がコーヒーを混ぜた。
二人はまるで親子のようだった。
俺が目を放すと、コーヒーを放置したまま、二人で会話を始める。
コーヒーが冷めるから早くのみな、なんてことは言えなかった。
注文も入っておらず暇を持て余していた俺は、
ぼんやりと店内を眺めた。
そこにはかけがえのない、日常があった。
「……あのー、すいません……」
さっきとは違うカウンターの位置から声をかけられて、俺は視線を降ろした。
つい最近ここの常連になった女性が、コーヒーを啜っていた。
ここに来た時、目を薬品で火傷していたた女だ。
俺が渡した、『×』と書かれた面布をしていて、目元は見えない。白い布でもよかったのだが、それだと縁起が悪いのでやめた。
火傷跡と、アイドルであることを隠すための面布である。
「ここって、何なんですか? てっきりボク、死んじゃったのかと思ってたんですけど、なんか意識ありますし……」
彼女は俺の方に顔を向けていた。
「さぁ、何だろうな? 『墓場』みたいなモンだよ」
「……やっぱボク、死んじゃったんですか」
常に明るい彼女の声が、一瞬低くなった。
さりげなく隣で会話を盗み聞きしている、バイトの顔色が悪くなったのも、俺にはわかった。
「つっても、ここにいる輩は全員そうだから、気にすることはない」
俺は口元を歪めて言った。
しかし、彼女のトーンは明るくならない。
「……でも、ボク、現世にたくさんファンがいたんです。その人たちを裏切ったってなるとな……うーん……」
さっきの二人組には言わなかった言葉を、俺は彼女に告げた。
「コーヒーが冷めるから、早くのみな」
「あ、はい、そうですね! ありがとうございます!」
彼女の声が一転、明るくなった。
「いやぁ、にしても、ここのコーヒーはおいしいなぁ! どうやってこんな技術身に着けたんですか?」
俺は「適当にな」と言った。
「いやいやいや、またまた、謙遜しちゃってー。絶対、メチャクチャ努力したんでしょう? ボクもそうでしたから!」
「……いや、努力なんてしてないさ」
はぐらかさないでくださいよー、と彼女は言った。
「この珈琲店についてはわかりましたけど、マスターについてはよくわかってないんです。教えてください」
……アイドルには興味が無かったが、今のこの会話で、俺はアイドルが嫌いになった。
この女のファンだったらこの時間を楽しめたろうが、
俺は無理だった。
眼鏡のズレを直し、ため息をつく。
「シンプルに、父親から教わったんだ。ブラックばっかり出すのも、白いマグを愛用するのも全部、父親譲りだ。これでいいか?」
「……初耳ですね……」
後ろのバイトが、嘆息を漏らした。
面布をしたアイドルは、「ありがとうございます!」と頭を下げた。
もうこれで、十分だろう。
俺はとっとと、その場から去ろうとした。
去り際、もう一度声をかけられる。
「すいません、最後に質問いいですか?」
「なんだ」
彼女が息を吸う音が聞こえた。
「マスターも、死んでるんですか?」
俺は振り返りもしなかった。
「さぁ、どうだろうな」
「あー、にっがいな、これ……」
カウンターから、男の声が聞こえた。
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