発達障害の子どもを育てているわけではなく、息子という一人の人を育てている
私の息子は発達障害という特性を持ち合わせている。
あえて「特性」と書いたが、適当な言葉が見つからなかったため。まぁあえて言えばというところ。
世の中に障害は個性だとか、ギフトだとか、なんでもかんでもプラス思考で表現する事が多々あるが、私に言わせれば、障害は障害である。
発達障害があるというのは、何かとうまくいかないことが多く、困る場面に出くわすのだ。
個性で困ることはない。困るから障害。
障がいという表記も別にわざわざする必要性を感じていない。
障害物競走と同義語の障害だ。
障害とせず障がいとするのは、当事者は害ではないから差別的だということを主張されるが、そもそもの意味が違うと考えている。
別に人に対して害だと表現されてるわけではなく、人の前に障害が存在しているという意味ではないのか。
むしろ、害をがいと表記するその思考こそが差別的ではないのか。
なんて考えている。
私のライフワークに、「パステルゾーン育児の会」というのがある。
発達障害の子どもを育てているママのピアカウンセリングの場づくりだ。
誤解を恐れず言ってしまえば、医師や専門家などでは理解できない、その立場の人でしか共有できない想いというものは確かに存在していて、お互いがお互いの道を照らして進まないと倒れてしまうことがある。
きれい事だけではなく、その筋の専門家のアドバイスは重々承知しているが、実際にそのように出来たら苦労しないわという事がとても多いのだ。
支援の手は子どもに向けられていて、その養育者は支援の先頭を走る存在な訳だが
親心は、とても複雑で環境や家庭や学校や園や様々な社会からの、良かれと思ったアドバイスなどにとても傷ついてしまう。正論ではない、感情のサポートが必要なのだけれども、そんな親へのサポートは殆ど0に等しい。
パステルゾーン育児の会は、同じ立場のママがお互いの傷に絆創膏を貼り合って、それぞれの決して他ではケアして貰えない傷に自分に有効だった薬を塗ってあげる。
そんな場なのだ。
なぜそんなに、ママたちは傷だらけになってくるのだろう。
おそらく、ママが求めている答えは
「我が子が幸せな大人になれるための方法」なのに対し
医療、療育、教育などの現場で提供されているのが
「発達障害に対しての現在の対処療法(しかも不確定要素多め)」だからなんじゃないかと、思ってる。
私は発達障害児を育ててきたのではない。
唯一無二の私が産んだ息子を育ててきただけだ。そしてそれがもう少し続いていく。
ただそれだけのこと。
パステルゾーン育児の会
毎月第2火曜日 10:00~12:00 8月はお休み
男女共同参画センター横浜南(フォーラム南太田)ミーティングルームA
託児あり(一週間前までにフォーラム南太田へ電話申込み)
予約不要
遅刻早退での参加歓迎
※男女共同参画センター横浜南 自助グループ事業
サポートは、鷹の目で世の中を見ることが出来るように、本などに使わせていただきます。