小説「オルタネート」の読書カンソウ文

作家としての加藤シゲアキ

"アイドルとしての加藤シゲアキ"を目にする機会は多かった。

妻が以前からNEWSの熱心なファンであったため、家では楽曲やライブ映像が日常的に流され、いつしかメディアに彼らの姿が映ると注視するようになっていた。
どうやら潜在的にファン意識を抱いているらしい。

でもだからこそ、"作家としての加藤シゲアキ"を垣間見ることを避けていた。

そこに小説執筆に対する安易さ、稚拙さ、傲慢さを感じ、嫌悪感を抱くことを恐れていたのかもしれない。

しかし機会が重なり手に取った「オルタネート」を読み始めてすぐ、安易な偏見のもと、稚拙すぎる先入観をもって、傲慢な考えを抱いていたのは自分の方だったと思い知った。

題名"オルタネート"に込められた意味を考察

本作では"オルタネート"と呼ばれる高校生限定マッチングSNSが物語の軸となる。
その語源は、以下の様な意味を持つ。

Alternate
1. 交互に起こる、互い違いになる、交互に繰り返す。
2. 電気、電流が交流する。
3. 代わりのもの、交代要員、代理人、補欠。

本作には主人公的な役割の人物が3人登場し、それぞれの物語が章ごとに"交互に繰り返されながら(=Alternate)"進んでいく。

序盤〜中盤ではすれ違い紐づかない3人の物語は、終盤に向けて加速度的に絡み合い、まるで"電流が交流する(=Alternate)"がごとく、それぞれの考え方や人生観を揺り動かしていく。

"オルタネート"とは、単にアプリ名やその機能性を表す言葉ではなく、本作の物語性を表したまさにテーマと言える単語だと感じる。

身体が軽くなるような読了感

対象が高校生のみという限定性からか、主目的がマッチングという点からか、読み終わる直前までアプリ"オルタネート"に対し窮屈な印象を抱いていた。

それは自分が思春期に感じていた、「学校という箱に押し込められている感覚」に似ている。

限られた空間/時間の中で、他人からの視線を気にしながら、自分をより大きく見せつつ、人間関係を構築していかなければいけない。

学生時代そのことがとても息苦しいと感じる瞬間があり、その感覚を思い起こさせるのだ。

考えてみると、その感覚は社会人という今の状況にも地続き的に存在しているかもしれない。

しかしこの物語の最後、-使う使わないは別として-主人公3人ともオルタネートの存在を肯定しているように見える。

それは自分を縛り、また拒絶するようなものではなく、あくまで選択肢の1つであり使い方も自分次第なのだと気付く。

作中の"ワンポーション"での言葉を真似るならば、それぞれが「オルタネートを使う可能性、そして使わない可能性」を受け入れたのだ。

読了後、鬱屈した気持ちや穿った固定観念がペリペリと剥がれ落ち、脱皮したように身体がフッと軽くなる心地がした。

最後に

若年層を取り巻くデジタル環境やそれにより生まれる心の揺らぎを、丁寧かつ鮮やかな描写にて高解像度で切り取った、美しい青春小説だった。

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