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ロバート・ビゲローが自らの生い立ちとUFO、超常現象研究について語る(4)

(3)のつづき。

JM: あなたは航空宇宙会社を設立する前に、NIDS (全米ディスカバリーサイエンス研究所 )を設立しましたね。 あなたは1年に及ぶコンタクティへの非常に真剣なインタビューを行い、入手可能な文献を読んだ後、NIDSを設立しました。

「UFOに関することはホワイトハウスではなく彼に報告しろ」と国防総省の通達が出たという噂のある大富豪ロバート・ビゲロー

RB: そうです。多くの素晴らしい研究者に出会うことができました。私はジョン・マックの研究の一部をサポートし、バド・ホプキンス、デイブ・ジェイコブスなど多くの有名な研究者などをサポートしました。 彼らは調査分野全体において本当に優れた人材でした。 彼らは非常に多くのことに関与してきました。私は、ミステリーサークル、キャトル・ミューティレーションの現地調査、催眠セッションに何度も参加し、アブダクション被害者である可能性のある人についての質問を書き出すなど、諸々のことを行いました。 もちろん、たくさんの写真を調べたり、さまざまな場所から抽出された資料の法医学的な検討などもそれに含まれます。

通常、誰かが何か証拠のようなものをを持っていると聞くと、人々は「ええと、何か見つけましたか?」と訊ねてきます。しかしこの質問は愚かです。なぜなら、もし本当に証拠となるものを持っているとすれば、それを持っているとは誰にも言わないでしょう。 没収される可能性があるからです。どのようにしてそれを入手したか、そして誰から譲り受けたのかという問題が生じます。もともとそれが連邦政府に由来した場合、つまり、ある時点で連邦政府が突然それを手に入れ、保管することによる不都合を避けるために別の者にそれを譲渡するということがあるのです。だから政府が持っているものはほとんどないのです。実際に持っているのは企業であり、FOIAは企業には機能しないからです。

JM: FOIAとは情報公開法のことですね。

RB: ええ、ええ。 政府関係者の99.5パーセントは何も知りません。 そして、情報というものは時に腐敗するのです。アメリカ大統領でさえ「知る必要 Need To Know」がなければ知ることができません。ただ民衆に選出されたというだけの人物に知らせる必要がないからです。 この主題はきわめて重大な問題であるため、選挙で選ばれた議員を常に信頼するわけにいかないからです。

JM: ほとんどの政府関係者には、これほど奇妙で複雑な内容を理解する能力がないのではないかと私は感じています。

RB: そうですね、それを持っている非常に少数の企業でさえ、何かをバックエンジニアリングするのは非常に困難です。彼らは大変苦労していると思います。そして、技術の複製を困難にしている原因の多くは意識に関係しているのかもしれません。

JM: あなたは 1990 年代に NIDS を設立したと記憶しています。

RB: いろんな人に出会いました。 私は約 9 か月間、アート・ベルの番組のスポンサーをしていました。それを「エリア 2000」と名付けました。彼はジョージ・ナップのような人です。 彼は驚くほど低くて深みのあるバリトンの声を持っています。ジョージもそうですが、彼は素晴らしい人でした。私はベルがインタビューするホストやゲストを見つけるのをジョン・アレクサンダーに手伝ってもらいました。彼は私を助けてくれました。私は何人かの人々を知っていましたが、彼もまた多くの人々を知っていました。そこでゲストを集めて、アートが彼らにインタビューすることにしたのです。9ヶ月ほどそれをやって、その後やめました。それは私が行っていた他のことに干渉するおそれがあったからです。それが「Coast to Coast」の前身だったと思います。アートがは後にそれへと発展させました。

JM: ええ、つまり、あなたはこの分野に非常に影響力を与えた人物になります。アート・ベルのショーは多くの視聴者を得ました。

RB: まさに…そうです。 しかし、基本的にそれはアート・ベルの行ったことであり、彼がすべてを処理していました。

NIDS は何年も運営されてきましたが、航空宇宙ビジネスが発展していく中で閉鎖されました。 理事会には本当に素晴らしい人たちがいました。一時は26人くらいまで増えたと思います。 私たちは2つの不可能に思える問題に挑戦しました。私たちはある時点で選択を迫られ、決断を下しました。つまり、人類史上最大の謎の二つである、UFO問題と死後の問題に取り組むことです。

そして、イアン・スティーブンソンが私たちの役員会に参加し、ブルース・グレイソン、エミリー・クック、ジェシカ・ウッツも私たちの役員会に参加していました。 彼らは明らかに、死後の生存の話題に興味を持っていました。 2人の宇宙飛行士も来ていました。 CIAからは1人か2人が来ていました。 私の周りには、医師、心理学者、空軍大将の人もいました。

ロスアラモス国立研究所の人々は素晴らしかったです。 彼らは誰もが個人的な理由を持っていました。 彼ら自身が体験したということではなくとも、彼らの近親者にそうした人がいたのです。したがって、彼らはそれらの問題に重大な関心を寄せていたのです。

私が生きた実験室としてスキンウォーカー牧場を購入したのはその頃でした。私たちはそれを 20 年間所有していました。 繰り返しますが、それはコリン・ケレハーとジョージ・ナップがそれについて書いた本を宣伝するためではありませんでした。 私はその本の中で何の役割も果たしませんでした。私にとって牧場の購入は、本を書いてそれを宣伝する目的のためではありませんでした。彼らが本を書いた理由は理解できます。私は宣伝ではなく研究に興味があったのです。

私は何が起こったのかを科学的に研究することに興味がありました。スキンウォーカーの場所だけで起こっていたわけではありません。ユインタ盆地の他の牧場や、本当にたくさんの場所で起こっていたのです。 私たちは物的証拠を持ち帰りました。私たちは20 年間にあらゆる種類の検証と実験を行いました。そして最終的に、私たちのプログラムマネージャーが彼自身で「スキンウォーカーとペンタゴン」といった本を書きました。 しかし私がそれを書くよう示唆したことは決してありませんでした。OSAP が私たちのプログラムであり、Jim Lekaski が唯一のプログラムマネージャーでした。 私たちが常に言及していたのは OSAP でした。

JM: それはNIDSの派生とも言えるものでした、私の理解が正しければ、NIDSはすでに閉鎖されていました。

RB: いや、テリー・シャーマンがミーティングに来て講演してくれたので、スキンウォーカーで活動していた時期だったと思います。

JM: テリーは牧場の元の所有者ですね。

RB: ええ、ええ。彼は数年間オーナーでした。 マイヤーズは、おそらくテリーよりも前、 35 年か 40 年間牧場の所有者だったと思います。 それで、ユインタ盆地からの人たち、テリー・シャーマン、その他何人かが来て、保安官代理だったと思いますが、NIDSグループといくつか話をしてくれました。

ハリー・ リード上院議員も何度か来ていました。 彼はこの主題に本当に興味があり、非常に真剣に取り組んでいました。

つづく

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