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10周年記念インタビュー連載 vol.1〜10年前、エイジ〜

今年で結成10周年を迎えるMr.ワリコメッツ。
そんな彼らは先日、結成記念日に当たるという11月1日(金)に新宿紅布でワンマンライヴを開催することを発表した。
そこでここ「NOTE」では、Mr.ワリコメッツ10年の歩みを探るべく、バンドメンバーにインタビューを敢行。
その模様を、数回にわたるシリーズものとして連載していく。
まずは、Mr.ワリコメッツの発起人の一人であり、リーダーでもある、ボーカルのエイジに、結成の経緯などについて話を聞いた。
(●インタビュアー ○エイジ)



●今、2019年7月ですが、10年前、つまり2009年7月頃は何をしていたか覚えてますか?


○2009年のその時期でしょ?あー、あれだね、必死にメンバー探してたはずだなぁ。

キリが入る前でしょ?

前のドラムのナオさん(初代ドラマー)がいて、葛西(初代ギタリストでエイジとは中学生の頃からの幼なじみ)と“わー”(エイジがよく使う一人称。津軽弁。)の3人。

10年前の7月頃はベーシストを探してたかな。

●では、ベーシストを探していて、そこで見つけたのがキリさんということですね。キリさんと初めて会ったのが何月頃だったかは覚えてますか?


○たぶんねー、2009年の8月、、、9月、、、あれっ、違った、ごめん。

葛西の誕生日いつだっけ?11月でしょ?たぶんねー、キリと2回くらいスタジオ入ってから、それで結成してるはずなんだよね。

だから、キリと会ったのは、、、10月かな。

10月に会って、1回スタジオで合わせて、それで、「うちらと一緒にバンドやるかどうかちょっと考えてみてください」って言って、それで次会った時、キリはもう「やります!」と。

その日がたまたま葛西の誕生日だったから、葛西への誕生日プレゼントってことで今日もう正式にバンド結成日でいいんじゃない?(笑)、と。


●ということは、便宜上、結成日を葛西さんの誕生日に合わせて11月1日にしたわけではなく、本当に誕生日の日に、「一緒にやりましょう」ということになったんですね?


○そう、たまたま。(笑)


●それと、キリさんと会う前に、一度、キリさんが以前やってたバンド、コメッツ(=The Comets)のライヴを観に行ったことがあるというような話を聞いたことがあるのですが。


○いや、コメッツのライブ観に行く前に、先にキリとはスタジオでセッションしてる。

その後にたぶん、当時のキリのライヴを観に行ってる。

コメッツはすでに解散が決まってたんだけどね。

うーん、キリとの出会いは、はっきり覚えてるなぁ。

葛西とナオさんと“わー”で、それぞれベーシストを探してたんだけど、葛西とかナオさんが見つけてくる人って、いつもテキトーで、テキトーって言ったら怒られるかな(笑)。

勢いで手当たり次第みたいな。

早くバンド組みたいから焦ってたしね、みんな。

しょうがないか。

で、“わー”もメン募(メンバー募集。音楽スタジオなどに自作のメン募チラシを貼ってもらったり、メン募サイトに募集記事を出したりして、メンバーを探す。)やっててね、いろいろ物色してたの。

そんで、「おっ!これ良いな!」と思ったのが、キリだったんだよね。

キリから加入希望で応募きたんだよ、確か。

キリのプロフィール見たら、「ビビッ!」と来て、そんで、葛西に、「すげぇロックンロール好きそうな人が、メン募で見つかったぞ!」って言ったら、「へぇー」ってあまり興味なさそうだったんだけど(笑)。

“わー”は「まだセッションしてないけど、たぶんこいつこれからずっとやると思うよ!」みたいなことを言った。

なんか“わー”と合うな、と思った。


●では、キリさんと最初に入ったスタジオはどこでしたか?


○池袋の、ペンタ(都内ターミナル駅には必ずと言っていいほどある、大手の音楽スタジオ)。


●その時に、合わせた曲は覚えてますか?


○いや、たぶんねー、ワリコメッツの曲をやってるはずなんだよなー。

「カラガラヨー」と、、、「シャウト(=「今夜だけはシャウト」)もやったかな?

キリはほら、メン募にあげてた音源でさ、「今夜だけはシャウト」を聴いてさ、このバンドでやってみたいって思ったらしいから。

だからたぶん「シャウト」もやってんのかな。

あと、「都ロック」もやってるかも。

とにかく、音源聴いて練習してくる、してこないに関係なく、あいつできるんだよね。

「これこういう感じの曲」って言ったら、すぐ合わせられるタイプというか。


●話が前後しますが、ベースを探していた時のメンバーは、エイジさんに、葛西さんに、ナオさんの3人。この3人でベースを募集していた期間ってどれくらいなんですか?


○覚えてないなぁ。

とにかく、葛西(エイジと同郷、改めて。2人はワリコメッツの前身バンドから活動を共にしていた。)と2人で、メンバー募集してる期間が長かった。

1〜2年?葛西が自分の手帳を目の前に広げてさ、「この期間までには絶対にメンバーを決めるべ!決まらなかったら青森に帰る!」って言ってたし。

その頃は、メン募のチラシなんかもいろんなとこに貼りまくった。

そんでいろんな人にも会ってセッションした。


●キリさんが見つかって、Mr.ワリコメッツが正式に動き始めて、初めてのライヴは、いつ、どこでやりましたか?


○新宿ドクター。

んー、、、パンパンパンパン予定決まっていったんだよなぁ。

11月にキリが入ってきて、12月にはレコーディングしてるんだよね。

デモ音源作るために。

MTR(マルチトラック・レコーダー。多重録音機。音の重ね録りができるので、バンドマンがデモ音源を録る時に重宝する)とかで。

配る用っていうか。

その時に収録した曲が、「カラガラヨー」、「ビール(=やっぱビール)」、「トラック野郎(=トラック野郎道中記)」、「シャウト」だったと思う。


●ライヴがいつだったかは覚えてないですか?


○1月とか2月くらいじゃないかなぁ。


●それはキリさんに聞いてみたら分かるかもしれませんね。


○んー、なんかねー、春だったと思う。

1、2、3月あたりというか。

キリが入ってきてからマジでペースがすごかったから、下手すりゃ1月にはライヴしてるんだよね。

11月にキリが入って、12月にデモ録って、1月にはもうライヴしてっていう。


●ともかく、キリさんが入って活動が急に活発になった様子が伝わってきますね。突然状況が変わったと思うんですが、その頃考えていたこと、抱いていた希望や目標などは覚えてますか?


○たぶんだけど、それまでワリコメッツができる前って、葛西が主導という感じだったの。

“わー”が作ってくる曲はあんま採用されなくて。

葛西が作ってくる曲の方がわりとキャッチーで、みんな本気でやってて。

“わー”は流されるがままみたいなところがあった。

たぶんやる気はあったんだろうけど、どっかで諦めみたいな。

葛西に頼ろうみたいな。

けど、キリが入ってきてそれがもうなくなったんだよね。

「これからは俺の時代だ」みたいな感じでもないんだけど、「やれる!“わー”がやりたいこと、全部できるんじゃねーか!」って。

逆に、それで大変になったのが葛西だったのかもしれない。


●その頃にハマっていた音楽は覚えてますか?


○ジャンルで言うと、スウィング・ジャズとか、スカとか、ロカビリーとか。

特にガンガン聴いてたのがジャズ。

だからその、「バキューンとガム」っていう曲はその前からあったんじゃなくて、ジャズ聴いてて、キリが入ってきて「こんなのできんじゃん」って思って、それで作ったような感じがあるね、たぶん。

音楽作るのがすげぇ楽になったんだよね、あいつ入ってきてから。

気にしなくていいからね、「このジャンルいけるかな?このメンバーで。」って。


●「バキューンとガム」はいつ頃できた曲ですか?Mr.ワリコメッツが動き始めて、しばらく経ってからですか?


○そうだね。

しばらく経ってからだね。

2010年かな。

初ライヴの時は「バキューンとガム」やってないと思う。


●ところで、初ライヴでやった曲は覚えてますか?


○たぶんだけど、「トラック野郎」でしょ、「カラガラヨー」、「ビール」。

で、「かわいいあの娘」っていう曲もやった可能性がある。

あと「都ロック」でしょ。

下手すると、「ひとつの銃声」もやってる。

そんな感じかなぁ。


●では最後に、その後、Mr.ワリコメッツ初期の活動で、印象に残っているイベントや出来事はありますか?今ぱっと思い浮かんだことでいいのですが。


○クラウッド(浅草、蔵前にあったライブハウス)での『清志郎ナイト』。

あとは、『ロックンロール世紀』(Mr.ワリコメッツの自主企画イベント)かなぁ。


インタビュー : 2019.7.27(土) 下北沢にて
(記憶に基づいて喋ってもらっているので、記憶違いによる誤りやメンバー間で情報が食い違う場合がございますが、インタビューのライヴ感を残すため、それらの訂正は行なっておりません。ご了承ください。)

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