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10周年記念インタビュー連載 vol.9〜ヒロヤ加入〜

11月1日(金)に新宿紅布で開催される、Mr.ワリコメッツの10周年記念ワンマンライヴ『拾』。そして、Mr.ワリコメッツ10年の歩みを探るべく始まった、このインタビュー連載企画。今回は、2013年に加入したドラム・ヒロヤに、Mr.ワリコメッツとの出会いや加入の経緯などについて話を聞いた。
(●インタビュアー ○ヒロヤ)

*ヘッダー画像は、ヒロヤ加入後、初ライヴの時のもの。武蔵境スタットにて。


●まず、Mr.ワリコメッツに入るきっかけは、どのようなものだったのですか?

○えーっと、どこから話したらいいだろう。

まずは出会いからあるわけで。


●はい、ではまずは出会いからお願いします。


○まずワリコメッツに初めて会ったのは、浅草クラウッドでのライヴで。

まぁそれは、ワリコメッツではなくニッチとサッチ(=エイジとキリによるユニット)との対バンだったのだけど。

確かその時は鍵盤がいたのかな、ニッチとサッチは。

で、俺はダンスグッズというバンドで出てて。


●それはいつ頃のことですか?


○たぶん加入の前の年だから、2012年の春じゃないかな。

その時確か、葛西くん(Mr.ワリコメッツの初代ギタリスト)もお客さんで来てたんだけど、なかでもキリ君と一番話したかな。

古い音楽が好きなんです、みたいな感じで。

その頃、ダンスグッズで『ルーツ・スタディー』(=『Roots Study』。3ヶ月に一度くらいのペースで定期的に開催していたという)というイベントをやっていて、50年代とか60年代とか、とにかく古いロックンロールとかを好きな音楽仲間を求めてたんだよね。

それで、5月くらいの『ルーツ・スタディー』に来てくれて。

キリ君と葛西君が。

2人で。


●遊びにですか?


○そう、遊びに。

で、その翌月くらいにクラウッドでワリコメッツと初めて対バンして。

で、その年の12月の『ルーツ・スタディー』にワリコメッツに出てもらった、という感じかな。


●『ルーツ・スタディー』は新宿スモーキン・ブギでの開催で、コンセプトがあって、というような話を聞いてます。


○そうですね。

出演バンドにそれぞれテーマを決めてもらって、そのテーマに沿ったカバー曲をライヴに取り入れてもらう、という趣旨でやってました。


●たとえば、ダンスグッズのテーマはどのようなものだったのでしょうか?ワリコメッツが出た時とか。


○いやー、その時のは覚えてないなぁ。

違う時だと思うけど、「キンクス」とか「ストーンズ」をテーマにしたこともあったし、「ジーン・ヴィンセント」とか「エディ・コクラン」とかもあったし、「サム・クック」とか「ウィルソン・ピケット」とかもやったなぁ。

違うアプローチとしては「クリスマス・ソング」をテーマにして、クリスマスの曲をカバーしたこともあった。

12月ってことを考えると、ワリコメッツに出てもらった時に、「クリスマス・ソング」をテーマにした可能性もあるかも。


●では、その時、Mr.ワリコメッツのテーマはなんだったのですか?


○ワリコメッツは確か「日本語ロック」みたいなテーマだったかな。


●カバー曲は何をやってましたか?


○確かキヨシローをやってたね。


●それだったら、「忌野清志郎」をテーマにしても良さそうなもんですね。


○たぶんもっと何曲かやるつもりだったんじゃないかな。

この時のライヴ、ナオさん(Mr.ワリコメッツの初代ドラマー)東京最後だったんだよね、確か。

イベント出演を依頼した時、ワリコメッツはすごくやる気あったんだけど、たぶんその後、ドラムが抜けるっていう話になって、「すみません、カバー曲できないかもしれない」みたいな連絡が一度来たのを覚えてる。

それに対して「ごまかしでもいいから、そこをなんとかできない?」っていうような話をして、既にレパートリーにあったキヨシローをやってくれたんだと思う。


●では、そのイベントの日、ナオさんの脱退は決まっていて、その時にワリコメッツに入らないかと声がかかったんですか?


○いや、その日には声はかけられてなくて。

まぁ、自分のイベントに出てもらってるし、その前から繋がりもあるし、いろいろ話はしたかな。

俺覚えてるのは、その日エイジ君に対して「歌うまいねぇ」みたいなことを言ったんだよね。

その日のライヴで強く記憶に残ってるのは、ボーカルの印象と、ギターとベースの音の粒がはっきりしていてそれが良いなぁと思ったのと、ナオさんが東京最後だったこと。

たぶんその後、岐阜のライヴがあるって言ってて、ナオさんの最後のライヴはその岐阜でのものだったんじゃないかな。

そう言えば、ダンスグッズのボーカルがナオさん好きって言ってたなぁ。

顔が好きって(笑)。

余談だけど。


●そうなんですね(笑)。


○で、その後、キリ君から連絡が来て。

「セッションして遊びませんか?」みたいな感じで。

それがきっかけかな。


●最初にワリコメッツとスタジオに入った場所は覚えてますか?


○場所は池袋のペンタ。

しかも正月だったんだよね。

1月3日とかで。


●その時、何の曲を演ったのかは覚えてますか?


○えーっとねー、とりあえず事前にセッションの課題曲があって。

なんだったっけなぁ。

「ツイストで踊り明かそう」、サム・クック。

あとー、たぶん「メイベリーン」とかかな、チャック・ベリーの。

で、「サム・クックで踊ろう」、夜スト。

その3曲が課題曲で。

それで当日、スタジオに入ってみて。

まず、とりあえず曲が始まるんだよね。

別に課題曲とか関係なく。

ビートルズだったりとか、ベンチャーズだったりとか、ロックンロールやオールディーズだったりとか。

で、次から次へと適当に思いつくままどんどん曲が始まっていって、一向に課題曲にたどり着かないという(笑)。

でもまぁ、適当に始まる曲が俺も知ってる曲も多かったし、楽しいセッションではあって。


●それで課題曲は演ったんですか?


○演ったかなぁ?辛うじて「ツイストで踊り明かそう」くらいは演ったかも。

夜ストもどうだったかな?もしかしたら演ったけど、みんなちゃんと覚えてないみたいな感じだったかも(笑)。

あと、セッションがそういう流れだったから、俺も「Boys」を歌わせてもらった覚えがある。

ビートルズの。

リンゴが歌う曲。

当時いわゆる箱バンでレパートリーにしてたから、「こういう流れだったら、俺も歌ってみてもいい?」って言って。


●一緒にスタジオに入って、ワリコメッツの印象はどんな感じだったんですか?


○ワリコメッツってパワフルなイメージがあって。

最初スタジオ入る時には、まず、そこをパワー負けしちゃいけないなというのは意識してて。

だから、スティックとかも実は重めというか固めというか、普段使うスティックじゃないスティックを持っていったんだよね。

あとは、スタジオ当日は、さっき話したようなセッションだったから、とにかく楽しかったという印象かなぁ。


●「セッションして遊ぼう」みたいなスタジオで、「バンドに入りませんか?」という前提ではなかったのですね?では、その最初の、セッションのスタジオに入る際、バンドに誘われるかもということが事前に頭をよぎったりはしなかったのですか?Mr.ワリコメッツはドラムが抜けたばっかりだったですし。


○あーーー、なるほど。

確かにそれは、、、よぎってた、ね。


●それで、ワリコメッツに入るかどうかは、スタジオ入ってから決めようと思ってたのですか?それとも、ある程度は決まっていたのですか?


○いやー、その当時の状況が、まずダンスグッズがあって、毎月のように自主企画イベントをやってて。

で、川越のお店で箱バンもやってて。

オールディーズとかの。

毎週土曜日。

絶対休めなかったし、レパートリーも多くて毎週練習していくのが結構大変だったから、基本スタンスとしてはバンドを増やそうとは思ってない時期だった。

これ以上は、今は無理だろうと思ってた時期で。

それでワリコメッツがドラム抜けた状態で、「セッションしましょうよ」という、半分遊びのような誘われ方でもあったんだけど、でも、どっかでなんか「バンドに誘われるかも」っていうのは頭をよぎってて。

それで、なんだろう、セッションで遊んだ後、「できる範囲でいいから」、「サポートでもいいから」という感じでワリコメッツに誘われて、自分の今できる範囲で良いんだったらやってもいいかな、と思ったんだよね。

本当に活動範囲を増やすつもりはなかったけど、ワリコメッツだったから、しかもできる範囲でいいって言うから、「じゃあ、やってみたい」と。

そうでなかったら、まずやってないと思う、この時期は。


●『ルーツ・スタディー』というイベントでルーツ・ミュージックを追求したり、箱バンでオールディーズを演ったりしてて、それまでやってた音楽と、オリジナリティーを求めるワリコメッツの音楽とでは、わりと別物ではありませんでしたか?


○うーん、初めは苦労したかな、やっぱり。


●何か共通項がないとバンドに入っていきにくかったりすると思うんですけど、当時のワリコメッツにも何かしらルーツ・ミュージックみたいなのはあったんですかね?


○ルーツ・ミュージックは、あったと思うよ。

そうだね。

それで反応してるというか、仲良くなってるしね。

ワリコメッツには、プラス何かも、もちろんあったと思うんだけど。


●では、ワリコメッツに入って、初ライヴはいつだったんですか?


○初ライヴは、たぶん3月。

その年の。


●ということは、2013年1月にセッションして、3月にライヴですか?


○そういうことか。

ちょっとライヴまでの流れは覚えてないなぁ。


●二ヶ月。


○とりあえず「できる範囲で」ってことでまたスタジオ入ろうってことになって。

でも、2回目のスタジオに入るまでがまた結構長かったんだよね。

たぶん仕事の都合とかでスケジュールが合わなくて。


●その時には何曲くらい覚えていったんですか?結構たくさん覚えていったんですか、次のスタジオまでに。


○いや、最初は「カラガラヨー」と「都ロック」だけだったかな。

あ!で、他の曲も準備はしてたんだけど、「バキューンとガム」がなかなか覚えらんなくて、っていう状態だったかな、最初のスタジオ。

たぶんそれがもう1月下旬とかで。

で、2月に何回くらいスタジオ入ったのか、ちょっと分かんないけど。

で、3月にもう武蔵境スタットで初ライヴをやってるね。


●ワリコメッツに入って一番苦戦した記憶があるのは「バキューンとガム」ですか?


○そうかな。

ま、結構いろいろあるんだけど。

「オーラリノ」も結構意味分かんなかったし、意外と「都ロック」も分かんなかったかなぁ。

なんというか、ブレイクするところで、結果的にはただリズムが突っ込んでた(正確なリズムより早めに音を出してしまうことを、「リズムが突っ込む」などと表現することがある)だけだったんだけど、「ここはわざと8分の7拍子にしてんのかなぁ?」と思ってしまったという(笑)。


●3月に初ライヴをして、そこからバンバンバンバンライヴしていくわけですよね。そうしたら今度、レコーディングがたぶん出てくると思うんですが。最初のレコーディングはいつやったのか覚えてますか?


○正式なレコーディングは『丘に暮らせば』のレコーディングで、2014年の1月からかな。

レコーディングしようって話が出たのは、たぶん2013年の夏頃だったと思う。

で、それに向けてまず、MTRで軽く録ってみようと。

それが9月頃だったはず。


●レコーディングの思い出は何かありますか?


○うーん、なんだろうなぁ。

なんか、ワリコメッツって、結構計画なく勢いで“ばぁー”っていっちゃうところがあって、それが良さでもあり、ちょっと上手くまとまんない部分でもあったりすると思うのね。

で、この時のレコーディングもわりとこう勢いで始まって、なかなか整理がつかなくなっちゃって。

特にこの時は12曲あったし。

いろんなことを平行してやっていったから、結構頭の中がごちゃごちゃしちゃって。

で、この曲はどこまで録って、この曲はどこまで録って、っていうのを、俺が一覧表にしたんだよね、整理したくて。

なんかそれくらいから、そういう風にレコーディングに参加したくらいから、本格的にワリコメッツの活動に関わるようになっていったんだよなぁ、たぶん。


インタビュー : 2019.8.29(木) 新高円寺にて
(記憶に基づいて喋ってもらっているので、記憶違いによる誤りやメンバー間で情報が食い違う場合がございますが、インタビューのライヴ感を残すため、それらの訂正は行なっておりません。ご了承ください。)

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