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【質問】前世に関して、どのくらい記憶があるのか?

最近筆者の小説(前世記憶をベースに描いた創作小説:下リンク)をお読みいただいた方からのご質問です。

Q.(過去生の記憶は)どのくらいあるのでしょうか?
『我傍』や最新本に書かれたことが記憶の全てでしょうか?
それ以外の瑣末な話があれば、是非お聞きしたいです。

長年サイト運営しているので気付きませんでした。

よく考えれば皆様、上の方のような疑問を抱かれていたかもしれません。
この点クリアにするため公開でお答えしていきます。

〔この記事は筆者ブログからの転載です。元記事https://ksnovel-labo.com/blog-entry-77.html〕アイキャッチ画像:日本,横浜,三渓園

基本的なこと

 
一つ前の前世に関しては、今の人生の幼い頃と同じような感覚で思い出されます。

皆様もご自分の幼い頃を思い出す時はそうだと思いますが、思い出は遠くぼんやりしていて時系列もたまに間違っています。全てを覚えているわけではなく重要な場面だけ記憶しています。場面は覚えているけど、現実に何があったのか、細かいことまでは分からない記憶もあります。
また建物の形状やファッションその他物質的なことは現代のイメージが混ざり、現代風にアレンジされていた記憶もあります。

あなたは自分の幼い頃に関して、その当時を知る大人から実際の出来事を聞いて曖昧な記憶が裏付けられ、「そうだったのか!」と驚くことがありませんか。私が前世の記録(仮)を読むときはそれと全く同じ感覚です。

【2022年追記】前世と今世の幼い頃の記憶はほぼ同じ、と述べたのは間違っていませんでしたが私の記憶は少々特殊だったらしい。説明が必要かもしれません。こちらで詳しく書いています:昔の記憶が「第三者視点」であることに気付いた(現世も前世も)

会話は言語が蘇るのではなく、「何を言われたか」という内容だけで覚えています。あなたも自分の三歳くらいの時のことを思い出してみてください。音声が再生されるわけではなく、内容を思い出すだけであるはず。前世記憶もそれと同じです。
つまり前世記憶は今の人生の思い出と、質的には全く変わりません。ただ時間が遠ければ距離を感じる(曖昧にぼけていく)だけのこと。

私の場合、一つ前の人生の記憶は近い感覚で感情も蘇りますが、それより前の人生は遡るにつれ曖昧になっていきます。痛みなどの感覚や感情もあまり思い出せません。
時間は距離に似ているのだなあ(遠ざかるほどぼんやり見える)、と思います。

ただし、今世で初めて前世記憶を思い出す時(クラウドにバックアップしていた記憶ファイルをダウンロードする感じ)は、当時の人格と完全同調しますのでリアリティのある記憶として受け取ります。私は言語記憶や数字記憶を受け取らなかったのですが、感情だけは当時のまま強烈に思い出しました。人によっては死ぬ時の痛みも思い出すことがあるそうです。ただもちろん記憶情報として受け取るだけなので、肉体が本当に痛むわけではありません。

★このほか、一度だけVRのように見た記憶のこと:リアリティある前世記憶、過去の身体の中から見た体験

上のご質問へのお答え


>『我傍』や最新本に書かれたことが全てでしょうか?

はい、そうです。
と言うよりも、私の記憶だけでは穴だらけで小説としては不完全になってしまうため、『我傍』では記録をもとに(つまり、モデルとした歴史事実をもとに)ストーリーを肉付けしています。
ただしなるべく私オリジナルの物語として描きたかったので、出来る限り記録は参考にせず、自分のイメージ優先で書きました。結果として、順番を間違えて状況も間違っていたことが後で判明した記憶もあります。

実際に私が見たイメージは、『僕が見つけた前世』で1ページに書いてあるものが「全て」(概要。後ほどここにUPします)です。

これをもう少し具体的に細かく書いたのが、こちらの『我傍』「あとがき」にあります記憶表です。


一般に「前世の記憶」であれば、これはかなり詳しいほうだと思います。
ブライアン・L・ワイスの『前世療法』や他の前世体験の本を読んでも、重要で断片的な記憶のみがフラッシュバックする人のほうが多く、人生全体をストーリーとして思い出せる事例は少ないらしいです。
 
嫌味を言いたがりな人が、
「お前、前世の記憶があるんだって? じゃあどんなトイレに行っていたか言ってみろよ! ○年○月○日に食べたもの言えよ! 言えないってことはその記憶が嘘ってことじゃん、バ~カ」
などという幼稚な言いがかりをつけてくることがあるのですが(小学生か、笑)、通常の人間は自分にとって重要なシーンだけ記憶しているものです。

筆者ブログの関連記事:何故、前世記憶では肉体に関する習慣はカットされるのか

記憶に欠けているところがあり、覚えていない瑣末なことがあるからといって、その全記憶が否定されるものではありません。
これは現世の記憶でも全く同じことが言えます。
(あなたは現世で、「○年○月○日に食べたもの」を記憶していないからといって、自分の記憶の全てが嘘だと思えますか? 幼稚園時代の三軒隣に住んでいた人の名をフルネームで言えないからといって、自分の全存在を否定できますか? )

記憶に欠けがあるのは現世でも全く同じ。
まして、前世の記憶ということはいったん記憶喪失になっています。 
記憶を証明してくれる家族もいません。

当たり前ですが現世の健常な状態の記憶よりも劣ること、ご理解いただきたいです。

……ただし。
私は記憶していない事柄について、「自分ならこうする」というお話は出来ます。
それは半記憶喪失の人が自分の写真を見ながら記憶を辿って話すことに近い作業です。
その程度の話でも良ければ、私なりの推察を残しておきたいと思います。

★これは小説裏話として筆者ブログにて書いています


信じるか信じないかは、あなた次第。 
私は押し付けませんので、受け取りたいものだけご自由にどうぞ。

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