魂のホロスコープこと龍頭図は他者の「鏡」…転生グループを表すか?
世間で「魂のホロスコープ」と呼ばれているドラコニック・チャート(龍頭図)について、先日プライベートのほうでご質問いただき回答しました。
しかしプライベート向けの漠然とした所感となってしまったので、こちらではもう少し具体的な分析をしたいと思います。
※この記事では一部、ドラコニック・チャートを「ドラコチャート」と略しています
〔筆者ブログからの転載記事です。元記事https://astrology.kslabo.work/2023/03/blog-post.html〕
基本的な話
まずは基本的な知識からご紹介致します。
ドラコニック・チャートとは漢字圏で“龍頭図”と呼ばれ、その名の通り出生時のホロスコープのドラゴンヘッド(ノースノード)を基準とするチャートのことです。
具体的には出生ホロスコープのドラゴンヘッドを牡羊座0度に設定し、それに合わせて外枠の星座を回転させて作ります。
言葉にするとややこしいので、試しにご自分で出してみると分かりやすいはず。
ドラコチャートはAstroDienstか、GoisuNetで作成できます。
現代日本人を見るのであれば、GoisuNetのほうが圧倒で簡単なのでおススメ。
龍頭図は魂のチャート? …と呼ぶのは難しい
さて、このドラコチャートを魂のホロスコープと呼ぶことについて私の感想は、プライベートで述べた通り「言い過ぎ」と思います。
その理由をここにも簡単に書いておきます。
「ドラゴンヘッドは1回~数回の転生における行動履歴(=1カルマ)を表しているに過ぎない」
からです。
おさらいしますと、 ドラゴンヘッドは買い物した際にもらう納品書(利用明細)みたいなものです。テイルは請求書と支払い方法。
あなたの行動の跡を示してはいますが、魂の本質を表すほどのたいそうなものではないのです。
確かに買い物の仕方に性格が反映されることはあります。でも、お店で使ったカードそのものがあなたの本質ではありませんよね?
それと同じで、ドラゴンヘッドは魂ではないし、永久固定の惑星でもありません。
来世では別の人生における買い物(カルマ)の請求書が送られてきますので、ドラゴンヘッドは変わります。
そんな短期間の納品書(カルマ)を牡羊座に据えただけのホロスコープを「はい。これがあなたの魂の本性ですよ」と差し出すのは無理があるでしょう。
なんとなく神秘的な感受点で、前世に関わりがあるかもしれないからといって、1個のドラゴンヘッドだけに魂の全過去を背負わせるのは荷が重過ぎるだろう……と私は思います。
前世の話はフィードバックがない、つまり記憶などない人がほとんどですから当たっているかどうか分かる人は少ないでしょう。
だから「なんとでも言えるよね」と思われ手法が乱発している気がします。
実は私も2012年頃からネットで「占星術で前世が読める」と提唱してきたので、占星術ジャンルの前世ブームを助けた一人と言えるのかもしれません。
(私自身はまったくの無名ですが。こっそり参考にされてきた気がします)
そのため今の状況に少々責任を感じています。
私は数少ない前世記憶を持つ者として、せめてこの種の占い結果をフィードバックし分析も提供することでお役に立ちたいと思います。
ドラコニック・チャートの印象は他人軸の「歪んだ鏡」
それではフィードバックしていきます。
自分のドラコニック・チャートを開いたときの第一印象としては
「まったく当たっていない……」
でした。
身もふたもない言い方で、すみません。でも本当のことです。
私は長年にわたり占星術とともに自己分析を趣味?としてきたせいか、バーナム効果がほとんど効かないようです。
また生まれつき、自己と他者の違いには非常に敏感なほう。
プライベート館では「他人と自分の区別がつかなくなった狂人」と思われているので信じてもらえないでしょうが、実は幼いころから他者と自分を混同し同一視した経験がほとんどありません。
(似たタイプに同調することはあっても違いを常に意識している。たとえ家族でも。自分自身の過去であってさえ、今との違いを意識する)
そんな違いに敏感な私の感覚から述べて、ドラコチャートは
「まるで他人のもの」
という印象を持ちました。
もちろん私の前世人生も表していませんでした。
――いや、違うかな。正確に言えば前世を表してはいたのです。
しかしそれは私自身のことではなく、過去世で周りにいた人たちを表した図のようでした。
身近な人や、同時代を生きていた遠くの人々。敵を含めた“世間”という集団。
その「世間集団に映し出された、歪んだ形での自己の影像」という意味では確かに前世を現したチャートではありました。
こんな曖昧な話では何だか分からないと思いますので、一部だけ自分の出生情報を公開のうえ具体的な話をしていきましょう。
エレメントが反対。ちょうど自分の欠けを補うホロスコープだった
私の場合、ドラコニック・チャートと通常の出生ホロスコープが「ちょうど反対」と言えるほどかけ離れていたので分かりやすかったと言えます。人によってはほとんど変わらない場合もありますから、分析にはラッキーなことでした。
まず私の出生時の通常ホロスコープでは
《火・風エレメント》
《男性星座》
を中心とした、やや偏りのある内容となっています。
ちなみにこのホロスコープは現在の私の人格をこれ以上ないくらい正確に表しています。
火と風エレメントしか無いわりにドライではなくウェットで、女々しいと呼ばれたりするのは、1室の魚座インターセプトで説明がつくようです。(なお「他人の痛みが我がことのように感じられ辛い」のは他者と自分を混同することとは少し違います。魚座には確かに他者との境界が曖昧になる特性がありますが、私はASCの水瓶座が効いているのか自分と相手との線引きはします。この越えがたい生理的な“壁”みたいなものを持つのが風星座の特徴。線引きしているから逆に交渉がうまいと言われるのですね。壁が厚くなると隠棲=引き篭もりになるようです、笑)
ところがドラコチャートにしますと、
《地・水エレメント》
《女性星座》
が中心の、通常とは正反対のホロスコープとなります。
それは私が逆立ちしても身に着けることができない特徴を持つホロスコープです。もちろん前世でもこのような特徴は持ち合わせていませんでした。
他人を鑑定していてこのようなホロスコープを開いたら、「自分にないものを持つ人。いいなあ」と、憧れを抱くかもしれません。
…ただしこのホロスコープは、私にとって受け入れ難い価値観も備えているようです。そしてそれは意外と、世間の人々が遠巻きに私を見たときに誤解するステレオタイプなイメージでもある気がします。
ASCは最も不得意な“欠陥箇所”だった
解読のスタートとなるアセンダントからして“本性”を表すどころか、むしろ“最も不得意な箇所”を表しているようで驚きました。
具体的に言うと、私のドラコチャートのアセンダントは牡牛座11度「花に水をやる女」。
これは現世感覚を重視する地に足のついた感性を持ち、美食やインテリア・美術品など、五感を充実させる個人としての幸福追求を優先する度数。
これを“本性”と呼べば私を知る身近な人々が「ふざけんな! どこがだ!!」と怒ると思います。
そもそも牡牛座の特性からして私には不得意なものですが、特に牡牛座10度~は、現世の利益をとことん追求する度数。
「現世利益を追求する能力だあ? んなもんコイツにあるかーい!!」 …と、周りの怒りの声が聴こえてきそうです。怖い怖い。
基本的に私は現世の利益追求が、とてつもなく苦手なほうでして。「自分の満足のために時間を使う」という個人的な幸福追求もかなり苦手なほうです。
牡牛座11度の、美しい物に囲まれ自分の楽しみや欲求をまっすぐに求めるという感覚は、何よりも私には欠けている性質と言えます。(日常を大切にしようと心がけていますが、そのように自分へ言い聞かせないと日常を忘れがち)
「ドラコニック・チャートは前世ですよ。あなたも前世では今と違って、現世追求が得意だったのでは?」と仰る方がいるかもしれませんが、全く違います。
前世のほうがもっとこの欠陥が顕著でした。そのせいで食べることや休むことすら忘れて働いてしまい、死んでしまったというほど極端に感覚が鈍い人間でした。
今もそういう欠陥は持ち続けているので、意識して欲求へ注意を向けるようにして生きています。ですが、家族のフォローあってできていることなのかもしれない。時間ごとに食べること・寝ることを促してくれる家族がいなくなったら危険だな…と感じています。
この通りドラコチャートのアセンダントは、私の場合は本性ではなく“致命的な欠陥箇所”を指摘してくれるエラー表示と感じられます。
あるいは、欠陥を補うためにこのようなパートナーがいるといいね、という理想像を示してくれていたのかもしれません。
太陽で表された“宿敵”、または他者の歪んだ自己イメージ
アセンダントよりさらに「自分とは違う」と感じたのは、太陽です。
もともと通常のホロスコープでも太陽星座は自分の性格ではないと感じていますが、サビアンシンボル「伝書鳩」には意義を見出しています。確かに伝書鳩となることは、私の人生のテーマだと感じています。
しかしドラコチャートの太陽は星座だけではなく、サビアンシンボルも全く他人のものに思えました。
具体的には、私のドラコチャートの太陽サビアンシンボルは蠍座15度「5つの砂山のまわりで遊ぶ子供たち」でした。
これは無邪気に求める権力や支配欲を表しています。
人をコントロールしたいという欲求。
そのために策を弄する。
策略で、他の人が自分の思惑どおりに動くことを心から楽しむ……ということを表した度数。
しかも悪びれず無邪気に楽しむ様子から、サイコパスなイメージも浮かびます。
(前世を解釈する都合上、悪いほうの解釈をして申し訳ないです。この度数は“創造性”も表しており、創作のためには前向きな意味を持ちます)
私の前世人生をご存知の方はお気付きかもしれませんが、この度数はまるで……私が前世で“宿敵”と定めたあのサイコパスのことではありませんか!
ついでに言えば、今世ドラゴンヘッドと対応する過去世でもよく似たサイコパスを敵と定め抗っています。その時は父親でしたが。
ですから私のドラコチャートの太陽が、対応する過去世の“宿敵”を表しているのだとすれば非常に正確です。
さらに奇妙なことではありますが、
「策を弄して人をコントロールする」
「謀略で権力と名誉を奪い取る」
というステレオタイプな策略家の人物像は、前世の私が他者から貼り付けられたイメージでもありました。
そのイメージはあくまでも他者が創作したフィクション上の歪んだ影像。
自分で言うのも何ですが、現実の私は前世も今も権力欲や支配欲、出世欲(名誉欲)といったものをほとんど持ち合わせません。他人をコントロールすることも、策略も、それはもう絶望的なくらいに興味がない。障碍レベルではないのか?と悩むほどにです。
前世では運命の出会いによって引き出され不可抗力で出世したのであって、自分から地位向上を求めたものではありません。
現状、今ここにいる私が無名であり何一つ権力も名誉も持っていないことが証明になるのではないでしょうか?
ただ若干、今は有名になりたいと望んでいます。メッセージを広く伝えるために。できれば死後にでもバズってほしい。この目的あって自分を広告塔の生贄として掲げたいという願いは、いわゆる“名誉欲”というものとは違うような気がしますがどうなのでしょう。
いずれにせよ、ドラコチャート の太陽に浮かび上がった“自己”とされる影像は、私の場合は
「世間という歪んだ鏡に映し出されたフィクションの自分」
でしかありませんでした。
プライベートブログで次のように述べたのは、この結果を指してのことです。
“歪んだ鏡”が映す影像は、他者そのものを表す
以上のフィードバックで伝わるかどうか分かりませんが、まとめますと。
どうやらドラコニック・チャートが表しているのは全て、自分の過去世と関わりの深い他者である、ということになります。
たとえば私のチャートで現れた
“歪んだ鏡でフィクションキャラを映し出している世間”
も「他者そのもの」ということになります。
誰かについて語っている集合体は、あくまでも「その人たち自身」を表現しているものですからね。
有名人を祭り上げている人たちなどは、相手について表現しているようでも実は自分自身を表現しているということです。
今現在、声高に宣伝されている「策を弄して人を支配するマキャベリスト」なるキャラクターも、語られる人の真実ではなく語り手の本性に過ぎません。彼らを投影する都合の良いキャラを、彼ら自身が意図的に作り出しているだけ。
多くの場合、ドラコニック・チャートはもっと穏やか
ところで通常チャートで世間の反応を表す感受点としては、たとえばDSCなどがありました。
ドラコチャートでは、通常チャートのDSCに集約されていた他者情報が“全ての惑星・感受点”に展開され細かく説明されている感じです。
なお私は過去世(特に一つ前の前世)で広い世間を相手にしてきたようです。
そのため「世間の影像」なるものが、ドラコチャートで表現されることになったのだと思います。
普通はそうではなく、狭い範囲の他者とだけ関わる人生のほうがむしろ多いはず。
その場合は私のように不吉で煩わしい「世間の歪んだ影像」としてドラコチャートが表現されるのではなくて、 穏やかな友人や家族関係が表現されるのではないか? と考えられます。
通常ホロスコープのアセンダントとドラコチャートのアセンダントが近かったり、エレメントが同じで納得しやすいものだったりする方は、たぶん対応する過去世の人間関係が穏やかだったのでしょう。
そのときの友人や家族は、きっと今も近くに生まれ変わってあなたを助けているはず。
例 有名人でも過去世はシンプル
余談ですが東洋で有名となった諸葛亮のドラコチャートはこちら。(アスペクトは単純化しています)
(通常チャートはこの記事にあります)
アセンダントサイン同じ、太陽サインも同じ。なんというシンプルさ!
これは対応する過去世の人間関係がそれほど複雑ではなかった、ということを意味するのでしょう。確かにこの人生前半の人間関係はいたってシンプルでした。
こんなチャートを見ても、つくづく出生時のホロスコープは未来計画というよりも過去記録の要素が強い気がしますね。
(出生もだがドラコも)私の複雑怪奇なチャートのほうが、何故か遥かに「孔明っぽい」ようです…現状まったく無名で穏やかな人生なのに。苦笑
結論:ドラコニック・チャートに現れるのは前世のグループソウルである
“広い世間”であれ、“狭い友人・家族関係”であれ。
ドラコニック・チャートに現れるのは「過去世の他者」であることが推測されます。
それはたぶんグループソウルと呼ばれる、何度も一緒に生まれ変わっている転生の仲間たちです。
そのために、
「ドラコチャートを開いたら家族の通常ネイタルと同じでびっくりした! 運命を感じた」
という話を頻繁に見かけるのでしょう。
ドラコ チャートで癒されるという方や、何故か涙が出てくると仰る方が多いのは、過去世へ意識を向けたことで転生の仲間たちが背後で喜んでいるからかもしれません。
だから「ドラコチャートはあなたの本性です」などという解説文の字面に惑わされることなく、広い視野をもって転生グループの存在を感じてください。
【謝辞】
実は、私は始め自分の本性としては当たっていないのでドラコニック・チャートを無視しようとしました。
しかし改めてこうして分析してみると、とても意味のあるチャートだということに気付きました。
このたびご質問くださった方に感謝致します。
追記:ガイドたちの「評価書」と転生グループ「他者」 …似ているけど違います
プライベート館で書いた追加の話、ここにも転載しておきます。前後カットしても分かりやすいよう一部改変。