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藤井七段タイトル挑戦おめでとう。学力が上がるという事は、その過程で心も精錬、高楚となっていくという話


今回は将棋の話ですね。

藤井七段がタイトル挑戦

これで将棋界の最年少タイトル挑戦の新記録となりました。

予選で倒してきた相手も凄い。

斎藤慎太郎八段、菅井達也八段、佐藤天彦九段、永瀬拓矢二冠

タイトル獲得歴のあるトッププロ達だ


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業界のトップが人格者であるかどうかは、その業界が幸福か不幸かにもかかわる重要な事だ。





将棋プロになった時点でその人は天才

その天才集団の中で、そのうち7割勝つ人が出てくる

所謂トッププロ、天才中の天才という集団だ

天才中の天才もそのうち沢山出てきて集団になる

今度はその集団の中で1人だけ7割勝てる人が出てくる

天才の中の天才の中の天才 羽生善治だ


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平成期間30年の中で7つのタイトル戦があるなら、約210のタイトル戦があったという事だ(厳密には棋聖戦や叡王戦の存在でもう少し多い)

その中で羽生善治は99回獲っている。210の内99だ。

競技力の高さも特筆すべきことだが、傑出度はさらに高い。

実は先ほどの7割勝てるだけではこうはならない。

長いトーナメントは無敗で10勝ほどはしないと挑戦できないからだ。

10勝0敗。150人ほどいるプロ棋士の中で、調子がよくて運もあった人がタイトル戦の挑戦者になる

1人の人間が全棋戦の半分で常に挑戦者になるには、7割勝てるでは足りないのだ。






話はずれるが、競技力と傑出度に関して

傑出度はその競技が時間が経ち解析される過程で落ちていく。

例えば、昔150を超える投手は、高い傑出度だっただろう。

だが、現在150を超える投手はざらに存在する。

そのかわり、周りのレベルは上がっていく、競技力は上がっているという事だ。

と言う事は、戦後150キロにも届かないが毎年プロで30勝以上していた

有名な昔の投手は、今の150超えのアマチュア投手に及ばないと言う事も出来る。

それに関しては捉え方次第、心情次第だ。



100m走の記録はどんどん更新されている。

50年前トップだった短距離走の選手が、ボルトより速いという人はいないだろう。



将棋界でも、傑出度を出すのは難しくなってきた。

皆が高いレベルの研究をできるようになり、競技力は上がったからだ

それでも藤井七段は、羽生さん以来の天才の中の天才の中の天才だ


そして私は、藤井七段が人格者である事も喜ばしく思う。

人格者だから将棋が強いのか。将棋が強いから人格者なのか。


私はフェルマーの定理に出てくる天才たちの物語を見て、ある程度答えが出たと思っている、自分の中で。


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天才オイラーは父の後を継いで牧師になる所を、ベルヌーイに才能を見出され数学者になる道を選んだ。(それぞれ定理に出てくる有名人だ)

1738年ごろより視力が低下し、1771年ごろ(1766年とする説もある)には両目を完全に失明したものの、その後も研究意欲が衰えることは全くなく、彼は論文の執筆を口述筆記に頼りながら、1783年に76歳で亡くなるその日まで精力的な研究活動を続け、人類史上最多とも言われる膨大な量の論文や著書を遺した。


登場人物全員を詳細に書くには膨大過ぎるのでやめるが、オイラーは視力を全て失うという状況の中でも多くの論文を出し続けた。なんという情熱だ。


藤井七段についてもその性格ゆえに強くなったのか、強いから性格がいいのか議論の余地はあるが、私が「フェルマーの定理」という本を読んだ感想としては、将棋の探求をしていく過程で精神が精錬され、一般の人が陥りやすい金銭欲、性欲、名誉欲、虚栄心、そういうものとは離れた精神性が完成されたのかなと思った。


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