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ジョセフ・ヒース「エンパシー(共感)では世界を救えない」(2021年4月9日)

「エンパシー(共感)を“広めていって”も世界を救うことはできない理由」(2021年4月9日)

〔訳注:本インタビューは。カナダのラジオメディアが行ったヒースのインタビューを中心とした気候変動問題への特集記事の意訳・要約である。ヒースのインタビュー部分のみ訳出している。〕

哲学者は言う「社会において最適に行動するためのルールは、その社会の規模にほぼ間違いなく左右されるのです」と。

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キャンプ場でみんな仲良くなるのと、大規模な社会で市民が協力する方法とは根本的に異なっている。そして、グローバルな協力は、完全に異なった競技ルールとなっている。哲学者のジョセフ・ヒースは「規模によって公益の論理は様変わりします」と主張している。

キャンプで、互いに協力する方法を把握するのは、あまりに当たり前で簡単だ。共通の目的に向かって作業する人間が一握りしかいないからである。

「ところが気候変動のような大きな課題に取り組むため、協力の規模を拡大しようとすると、キャンプの時のような結束や協力はほとんど不可能になります」とトロント大学の哲学者ジョセフ・ヒースは言う。

この問題の核心を把握するために、ヒースは自身の経験を挙げてくれた。

「ノースウェスタン大学の大学院で学んでいた時です。そこだと学部の図書館を、50人ほどの学生と教員でシェアしていましたが、夜間に施錠する必要はなかったんです。誰もが自主管理に基づいて本を借りていました」

「ノースウェスタンにいた時だと、盗んでやろうと思っていた本が沢山ありましたね」とヒースは言う。「本当に良い本がいくつかあったんですよ! モラルの制約があったので、絶対に盗みませんでしたが。皆、ファーストネームを呼び合うような関係性にあったので、私はそういう人達への影響を考慮していたわけです」

哲学者のジョセフ・ヒースは、「協力を達成するは、関係者の数で変わってきます。集団が大きくなるにつれて、共通の利益に向けて一丸で取り組むのが困難となり、官僚的なヒエラルキーに頼るのが普通になるのです」と言う。

ヒースはそれからトロント大学の教員になった。ノースウェスタンよりはるかに規模が大きい大学だ。彼はトロント大学でも、図書館で本を借りるのに、ノースウェスタンの時と同じような自主管理制度を導入した。トロント大学だと、250人くらいの人が借りるようになった。そして、この自主管理制度はうまくいかなかった。

「あらゆる本が盗まれてしまいました」ヒースは言う。「盗みのような“反社会的行為”で、互いにまったく見知らぬ人への影響を想定してみれば、人は実に罪の意識を感じなくなるんですよ」。

「道徳的直感や社会的圧力は、関係者が多く、匿名性が高い場合だと効果的ではないのです」彼は言う。

「人間はいかなる時も、協力をサボりたがっています」とヒースは言う。「皆、人が死ぬのは分かっているにも関わらず、戦争は続いているじゃないですか」と彼は指摘する。

「[それから]人類は、気候変動のような広範にわたる問題に対して、グローバルな規模での協力に一切成功してきていませんよね」彼は付け加える。

「“より協調的な社会”を持てば、大きなメリットがあるであろうことは自明でしょう」ヒースは言う。

「そして、私たちは“理性的な洞察”を保持することで、皆で生活を向上させることができます。しかし、“理性的な洞察”を持つことと、それを実際に実行することには大きな違いがあるのです。私たちは、“意志の力”に関して、個人レベルでも問題を抱えていますが、社会レベルでも同じような課題を抱えているのです」

ある規模ではうまくいくことが、別の規模ではあまりうまくいかないかもしれない。

〔以下翻訳省略。
“協力”は少人数のキャンプではうまく機能するが、それでも1人のフリーライダーが出現すると協力が崩壊する事例が描写されている。
さらに、ラトガーズ大学の哲学者による、気候変動に対応するためには世界各国の協力が必要なため、国連が主導権を担う提案が紹介されている。〕

しかし、哲学者のジョセフ・ヒースは、気候変動危機に対処するために、〔国連のような〕国際的な権威機関にはあまり期待していない。

「私は、技術革新に賭けることにしました」ヒースは言う。

「つまり、国連事務総長よりも、イーロン・マスクの方が、私達を救う可能性は高いと考えます。なので、炭素価格付けは素晴らしいアイデアだと思いますね。炭素価格付けが素晴らしいのは、化石燃料の産出を制限する恒久的な法律になるからではありません。技術革新を生み出すからなのです」

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