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パブリナ・チャーネバ「雇用保障プログラム(JGP)が正しく、ベーシックインカム(UBI)が駄目な理由」(2021年5月22日)

〔訳注:本エントリは、MMT派の経済学者の中でも、特にJGP(雇用保障プログラム)に詳しい、パプリナ・チャーネバ教授へのフランスメディアのインタビューを翻訳したものである。訳者はフランス語に堪能でないため、あくまでも意訳・要約となっていることを考慮した上で読んでいただけると幸いである〕

ニューヨークにあるバード大学の経済学教授のパブリナ・チャーネバは、現代貨幣理論(MMT)に影響を与えた人物であり、『社会兵器としての「緑のニューディール」』の著者だ。JGP(雇用保障プログラム)は、アメリカでは「グリーンニューディール」の支持者や民主党左派によって強く支持されている。この政策は、民主党が提唱する連邦政府最低賃金(時給15ドル)で、求職者全員に公的な仕事を提供し、正規雇用に付随する社会保障(年金保険、健康保険、有給休暇など)を供与するプログラムである。この政策によって、国は、最低水準の賃金と労働条件を設定し、完全雇用を保証する最後の雇用者としての役割を果たすことになる。JGPは、政策として魅力的ではあるが、特に資金調達と実際の実施方法について多くの疑問が寄せられている。フランスでは、チャーネバの本が翻訳出版されたことを契機に、左派の間で議論が巻き起こっている。JGPによる改革の実際的な問題とは別に、議論が二分しているのは「資本主義の克服」である。JGPは、資本主義を克服するためのツールなのか、それとも現行資本主義を延命させてしまうのか。我々はパブリナ・チャーネバにインタビューを行い、寄せられている批判への解答、彼女の提唱している政策はフランスのような他国でも適用できるか問うた。

――JGPのアイデアはどこから来ましたか? その目的は何ですか?

パブリナ・チャーネバ(以下チャーネバ):JGPは新しいアイデアはではありません。1793年のフランス憲法にもそれを見ることができるように私には思えます。近代の経済システムでは、賃金労働は必須かつ不可欠なものであり、基本的権利であることが認められています。こうした考え方は、様々な憲法、国連人権宣言、様々な国際条約にも見ることができます。問題となっているのは、この権利をどう保障するかです。JGPを提唱する最初の理由は、完全雇用を保証できる機関は公的機関でだけであり、公的機関が失業者を直接雇用すべきである、という考えです。国家は一般的に、教育、ケアなど多くの保証に国民がアクセスできるようにする責任があり、「人間の安全保障」を与えることにも責任があります。JGPは、この「人間の安全保障」に基づいて、多くの人に安心感を与える政策です。仕事を探している人がいるなら、「必ず仕事にありつける」という保証を国家が提供するわけですね。私の提案は、この雇用の権利保障の課題に、パブリックオプションによって取り組むという意味で新しいものとなっています。しかし、これは単に雇用を創出するだけではありません。社会構造を変化させる、財政政策の新しいやり方です。JGPによって経済を安定させることができるのです。またグリーンニューディールにも必須となっています。

――あなたの本では、雇用保障の正当化において、失業の社会的・経済的コストを強調していますね。

チャーネバ:はい。強調しています。失業は、社会にとっての災い、疫病なのです。私たちは、失業を当たり前のように受け入れているため、このことを忘れがちですが、失業は、失業者当人、家族、そして失業者を取り巻く人々に多大な犠牲と苦しみを与えています。本を書いたのは、パンデミック前の2019年ですが、「失業は静かな伝染病」と論じました。失業は社会的コストだけでなく、人々の精神に、肉体に、そして子ども、健康にも影響を与えます。それだけでなく、社会の中で、ウィルスのように広がっていきます。そして、失業が社会で常態化すると、地域の経済的基盤を弱体化させ、大衆に影響を与える「雇用の慢性疾患」へと至ります。私たちが、これに対処したいなら、既にコストを負担してしまっていること、それが破壊的なパラダイムなことを認識しなければなりません。公共部門には、既にこの失業のコストに責任があるので、雇用の面でなにか良い対処を取って責任を償わねばならないでしょう。

――JGP(雇用保障プラグラム)の概念をよく知らない人のために、その仕組を説明してもらますか?

チャーネバ:明らかに、国によって運用実態が変わってくるでしょう。それでも、中心となる考えは、公共部門が完全雇用に責任を追わねばならない、というものです。具体的には、失業者に恒久的に仕事を提供するプログラムを実施しなければなりません。景気後退期であろうと、パンデミックであろう、相対的に好況な時期であろうと、関係ありません。公共部門は、反循環的(景気循環と逆に)作用することが求められています。そして、これはJGP(雇用保障プログラム)で非常に誤解されていることなのですが、あらゆる政府プログラムは、反循環的です。〔政府政策において〕社会保障、健康保険、住宅、食料など、これら全ては反循環的な政策です。また、景気が悪くなると、まず雇用に影響が出るため、雇用保障は、景気対策にもなります。どのような仕組みとなるのでしょうか? プログラムとして成功するには、地域社会のニーズが適切に把握されるような方法での、地域参加型のプログラムでしょう。

――実際に、JGP(雇用保障プログラム)を利用したい人は、どのように利用しますか?

チャーネバ:例えば、失業保険を管理しているジョブ・センター〔訳注:日本だとハローワーク〕の利用が考えられます。また、JGPのために、提供される職をプールした銀行のようなものを設立するのもありでしょう。こうしたセンターでは、提供された職のリストを作成するために、地方自治体に企画案を持ち込むことができます。これよってたとえば、〔失業者は〕、失業保険を申請の際に、保険・保証等の手当が付いた時給15ドル仕事(年収で32,000ドル相当)を選ぶこともできるようになります。むろん、もしこの時に仕事を選択しなければ、失業保険が適用されます。しかし、JGP(雇用保障)を選択した場合、提供される仕事は自宅に近いため、仕事までに2時間移動する必要はないのである。このプロジェクトに参加することで、一定レベルでの職歴と、場合によっては新しいスキルを身につけることができるでしょう。また、民間企業で働いている時と同じく、並行しての求職活動も可能です。JGP(雇用保障)では、人にとって跳躍台となるような基本的な仕事が提供されます。もちろん、基本的な保証・保険も備わっています。

――雇用保障は、ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)とよく比較されます。あなたは、UBIを支持していないようです。なぜ、UBIは、貧困や失業を根絶させるのに効果的な手法ではないのでしょうか?

チャーネバ:私は、あらゆる形態の所得保障(BI)に反対しているわけではありません。ただ、最低賃金水準の収入を全ての人に給付するような、ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)には反対しています。私の経済安定保障に関する考えは、人によって異なる経済的不安定を経験しているという事実を前提とした、包括的、多面的、ボトムアップなアプローチです。人によっては教育機会に不安を抱いているようでしょうし、人によっては住宅、収入、雇用に不安を抱いているかもしれません。そして、私たちは、既に様々な形での所得保障を実現させているのです。最低保障年金と、ユニバーサルな家族手当等がありますよね。こうした形でのベーシック・インカムには私も賛成します。私が問題としているのは、貧富の差の関わらず、あらゆる人に年間3万ドルを給付するようなユニーバル・ベーシックインカム(UBI)です。UBIによって富裕層にまで、彼らが必要としていない基礎収入を提供するのは、倫理的な問題があるでしょう。しかし、倫理的な問題だけに留まらず、マクロ経済的な問題も産みます。まず、UBIは、失業を解決しません。UBIは、直接の雇用も創出しません。失業は常態化することになるでしょう。なぜなら、私たちは経験から、基礎所得を持つ人は求職を続け、必ずしも全員が仕事にありつけないことを知っています。人は、仕事を求め続けるのです。私たちはこの現実を受け入れなければなりません。

それから、もう一つのマクロ経済的な問題は、インフレです。一人当たり年間3万ドルの給付は、国内総生産(GDP)の約1/3に相当します。GDPの1/3もの額を、無条件にあらゆる人に給付すれば何が起こるのでしょう? 例えば、市場支配力の大きな企業が、UBIによって創出される巨大な購買力の一部を既得権益化し、価格支配力を行使する可能性が必然的に高くなります。他には、UBIには、反循環的な政策要素はまったく存在しません。毎年、GDPの1/3を単純給付するだけですからね。インフレを誘発しやすくなりますし、インフレへの対処も難しくなるでしょう。なので、私としては、マクロ経済的な原則と、道徳的な原則から、UBIには強く反対しています。ただ、もちろん政府は雇用だけでなく、様々な方法で人々を支援しなければなりません。働くことができない人や、働くべきでない人への財政的支援を行わなければならないでしょう。就業を全ての人に強制すべきではないでしょうし、それはJGPの思想的背景にあるものではありません。私の見解では、社会保障と雇用保障は補完関係にあります。雇用保障と、条件付きベーシックインカムの導入が考えられますね。

――2008年の金融危機時には米国政府は金融セクターのために何千億ドルもの資金を拠出し、2020年のコロナショックでは各国は天文学的な額の財政出動を行いました。これらの事例から、財源の問題は重要性を失っているように思えます。少なくとも、米国では、バイデン政権が、大規模な景気刺激策を実施し続けています。あなたは、著作で、JGP(雇用保障)を現代貨幣理論(MMT)と結びつけ、その財源を公共支出で賄うことを提唱しています。ところが、ここフランスでは、私たちは通貨主権を持っていないのです。しかし、ルソー研究所による「グリーン雇用保障」による提案では、雇用の名目で年間1,000億ユーロの支出が提唱されています。この提唱では、多めに見積もって約500万人分の雇用を保障するJGPの資金を調達できるとしています。しかし、こうした政策は、その成功を代償に、爆発的なコスト増大の危険性はないのでしょうか? 具体的に、フランスではどうなりますか?

チャーネバ:共通通貨に加盟すれば、他の国のほとんどが直面しないような特殊な制約を課せられてしまうことを認識しなければなりません。この制約の下でもさまざまな政策を実施することは可能ですが、そこには限界があることを理解しなければなりません。ただし、もしフランス一国でJGPが成功し、その成功が広く認識されれば、次のステップとして、ユーロ圏全体での政策の実施を提言し、欧州全体の予算による資金提供を想定できるでしょう。それから、あなたが指摘したように、雇用保障は現行の予算水準でも実現可能です。失業コストへの対処は、すでに各国の予算に組み込まれています。ルソー研究所によるグリーン雇用保障の財源に企業向け補助金を転用するアイデアについては、私もル・モンド紙に寄せた論説で触れています。既に、助成金、財政優遇阻止、減税、公契約といった形で既に企業に向けての膨大な予算が投じられています。しかし、これらは雇用にはわずかな影響しか与えていません。一方で、貧困の拡大や、失業によるウェルビーイングや住宅への悪影響に対して、政府が対策しなければならないことは自明でしょう。こうした、失業や貧困による副次的コストは常に存在しているのですが、あまりに目に見えるものになっていません。JGPがあれば、こうしたコストの全てを削減できるでしょうし、地方自治体レベルを含めて公的予算の効果を実感できるでしょう。こうした政策は、さらなるプラスの効果ももたらします。地域を活性化させ、消費の新規創出は経済を支えます。失業の蔓延期よりも民間企業の労働条件も改善されるでしょう。JGPが標準となれば、民間部門の労働条件もそれに従わなければならなくなるからです。経済が完成雇用になれば、民間部門は賃金を引き上げざるをえなくなります。これが、JGP導入による成果です。

JGPが成功すると、応募者が殺到してしまう可能性があります。これは、特に短期には実際に発生するでしょう。アルゼンチンでは実際にはそうした現象が見られました。かつてアルゼンチンでは、失業率40%の恐ろしい不況を経験しました。そこで、アルゼンチン政府は、世帯主だけを対象に雇用補償制度を導入しました。政府は50万人を想定していましたが、応募者は200万人に上りました。もっとも、経済が回復すると、雇用補償制度に参加していた人たちは、民間部門に復帰を始めたのです。財政的に、恒久的な大負担になるとは思いませんが、短期で応募が殺到すれば、ユーロの人為的な足かせが問題となるかもしれません。ユーロ危機は、こうした問題を顕在化させました。もっとも、あなたが指摘したように、既存予算の付け替えでも実行可能でしょう。ヨーロッパ諸国でも可能でしょう。

――アルゼンチンの経験、ルーズベルトのWPA(Work Projects Administration:公共事業促進局)、インドの地方での雇用保障制度から、得られる主な教訓は何なのでしょうか?

チャーネバ:それらから得られる主な教訓は、JGPは迅速に実行できるということです。政府の明確なコミットメントがあれば、迅速に組織化が可能です。2つ目の教訓は、長期失業者にプラスの影響を与えるという事実です。最も弱い立場にある人達は、長期失業を経験していることが多いのです。つまり、JGPに反対している人は、最も弱い立場にある人へのこうした経済保障の提供に反対しているわけですね。反対している人は、雇用主による首切り、搾取、差別、ハラスメントの権利を擁護しているわけです。そうではないと言うなら、他に代替案を示さないといけません。雇用を保障するか、失業を保障するかの二者択一です。私からすれば、前者一択です。JGPは、なんらかの欠点があるにせよ、現状の失業への対策の何よりもマシです。インドに目を向けてみましょう。そこでは、何百万人もの人々が貧困の中で暮らしています。そして、実際にインドでは、世帯の3割ほどを対象とした雇用保障を実施しています。毎年の変動はありますが、このプログラムは恒久的なものとなっています。利用者は、雇用保障制度を出入りし、ボトムアップで民主的に運営されています。アルゼンチンでも民主的に組織化されています。アメリカでも、こうしたプログラムへの支持が集まっており、完全雇用の実現は政府の責任であると考えられるようになりつつあります。過去にアメリカでは、大恐慌期にフランクリン・ルーズベルトによって雇用保障政策が実施されましたが、後にイデオロギーを理由に放棄されてしまいました。しかし、インドではこの権利を法律で保障しているため、アメリカのような放棄はできなくなっています。JGPを、危機だけの政策とせず、構造的な政策にしないといけません。これが3つ目の教訓です。

――あなたの本のフランス語版では、グリーン・ニューディールとJGPの関連性が強調されています。なぜ、環境保護への移行に、JGPは不可欠な要素となっているのでしょう?

チャーネバ:従来までの環境保護への移行の議論では、雇用の観点が欠けていたため、いつも困難を抱えてきました。パリ協定では、この問題が露呈してしまっています。移行は、人権と両立する以上、国家の優先順位から、労働者にとっても公正でなければなりません。雇用保障がなければ、石油採掘や炭鉱での高給の仕事を失うことを恐れるから、労働者によっては環境保護移行に反対するかもしれません。こうした理由から、環境保護と、労働との関係には、常に緊張感があります。しかし、JGPがあれば、移行における保険が提供されます。

そして、グリーン・ニューディールによって、3つの保障が提供されます。第一に、石油・ガス産業の従業員を対象とした所得保障です。彼らの、良質な退職手当と健康保険を提供します。第二に、雇用保障です。これは最も弱い立場にある人に、社会保障を含んだ基礎的な仕事の提供を保証します。第三に、投資の広範な社会化です。これらによって、公的機関は、あらゆる熟練水準と所得水準の労働者に十分な雇用の創出が可能となります。よって、環境保護への移行は、政府によって補助されるべきなのです。この件で、人によっては誤解している人がいます。人によっては、雇用保障は、投資だけを社会化すると思いこんでいます。しかし、そうではありません! 政府は、スキル、テクノロジー、公共と民間すべてのレベルで、環境保護への移行を先導しなければなりません。しかし、そうしたケースでは、人によっては仕事にありつけないかもしれません。つまり、JGPがないと、移行が困難となる可能性が高いのです。

――しかし、例えば、フランスの製油所で働くエンジニアや技術者はどうなるのでしょう? 彼らは熟練し、高い給与を得ています。エネルギー転換によってこうした人たちが失職した場合、非熟練の雇用保障では満足しないのではありませんか?

チャーネバ:JGPは、あらゆる雇用喪失を解決するわけではありません。もし私が会計士で、失職した場合、JGPの仕事は満足できるものではないでしょう。つまり、JGPは、労働市場におけるあらゆる問題を解決するわけではないのです。弁護士や投資銀行家に、同等の収入を保証することはできないでしょう。こうした仕事での高給は、適切な労働価値からのものか怪しいですしね。政府は、こうした高賃金の仕事を保障する公共政策を立案すべきではないですね。政府がすべきことは、底を設定することです。そこからの経済の下支えについては、より創造性が必要とされています。もっとも、グリーン・ニューディールにおいては、エネルギー転換への投資を通じて、技術者への保証を提供します。つまり、適切なトレーニングによって、石油採掘に従事する技術労働を消失させるわけです。なので、中間所得層が、移転においてJGPでの仕事・給与を受け入れられないことは理解できます。しかし、そうした中間所得者層も、グリーン・ニューディールによる公共投資や社会投資の恩恵を受けるのです。大恐慌・第二次大戦によって何が起こったのか考えてみてください。ニューディール政策や総力戦体制による、公的雇用の創出や公共投資によって、労働組合が多く結成され、製造業部門での多くの雇用が生まれ、労働者の高賃金化に繋がりました。しかし、この時は、政府は、完全雇用を保証したわけではなかったのです。つまり、「底」を設定しなかったのです。最低賃金が導入されましたが、それは仕事に付いていなければもらえない給与です。私の提案は、絶対的な「底」と、最も弱い立場の人への価値保障です。失業を根絶することです。

――JGPをいざ実施するとするとすると、疑問が多く浮かびます。特に、監督、トレーニング、有用な仕事の発見は可能なのだろうか? などです。巨大な官僚機構は必要とされないでしょうか?

チャーネバ:そんなことはありません。アルゼンチンや南アフリカやインドのような新興国が迅速に実行できているのですから、フランスのような国でも十分に実行可能でしょう。国民の幸福度を高めるための手段は数えきれないほどあります。特に、環境保護では、創出できる職が大量にあるでしょう。それから、官僚機構の肥大化を批判するのは論点違いです。例えば、我々は教育制度という官僚機構を保持していますよね。教育制度の廃止を訴える人は存在しないでしょう。軍隊も巨大な官僚機構です。JGPを実施するにあたっては、正しい方法で行わねばなりません。むろん、行政の力は必要ですが、既に、貧困や失業、生活保護や住宅補助等々での巨大な行政機構があることを忘れてはなりません。アメリカでは、失業者向けの求職を目的とした巨大な官僚機構が存在しています。つまり、官僚機構は既に存在しているのです。

――米の急進左派のシンクタンク『ピープルズ・プリシー・プロジェクト』の代表であるマット・ブルーニグのような人は、「JGPでは常に雇用を確保しておくために、非熟練の無駄な仕事を大量に用意することになり、資本の無駄にもつながる」と、JGPを批判しています。つまり、JGPの内容は、無駄で低品質の雇用ばかりになるとしているわけですね。

チャーネバ:あえて社会主義的立場に立ってみると、ブルーニグのような批判は、非常にブルジョア的ですね。失業の問題や、労働市場での非雇用者の待遇が不公正で残酷なことを認識せずに、JGPで提供される職の中身の品質だけに噛み付いているわけですから。なんらかの仕事を、「無駄で質が低い」というのは、資本家的・パターナリズム的な見解でしょう。彼らは、道路の清掃を「質が低い」と見なしているわけです。これは、公衆衛生的にも必須な仕事です。こうした仕事はなくても良いとでも?  都市部での植林は、大気環境的にも極めて重要ですよね。彼がいったい何を「低品質の仕事」としているのか具体的に聞きたいですね。石を割って回るような仕事をJGPで提唱してるような人はいないですよ。

――しかし、JGPに従事していた人がそこから離職すると、その仕事が必要な仕事だった場合、空白が生じるのではないのですか?

チャーネバ:それは別の問題です。こうした誤解が生じているのは、カウンター・シクリカル(反景気循環)的政策という観点が十分に理解されていないからです。つまり、JGPは、民間部門の景気循環に対して、反循環的に機能します。景気循環に応じて、失業は反循環します。皆知らないのが、完全雇用が達成した国では、経済は安定している事実です。日本や、スウェーデンを見てください。こうした国家では、コーポラティズム〔企業・労働者・国家の協調主義〕的なモデルを実現したことで、経済は安定し、失業率が低くなっているのです。よって、JGPは公的部門の一部となりつつ、民間企業に準ずるような形態での、労働者が柔軟に入れ替わりするような制度となる必要があるでしょう。民間企業は、常に人が辞めていますよね? なのに、JGPから人が辞めることはなぜ問題とするのでしょう? そして、失業が常に存在する以上、制度としてJGPは永続的であらねばなりませn。ただ、私が強く指摘しておきたいのは、「JGPを公共サービスの代わりにしてしまってはいけない」ということです。公立学校や労働監督官、公共インフラとしてしまってはいけません。ただ、JGPの一貫として、こうした部門の一部で雇入れることは考えられます。JGPは公的オプションであり、公共サービスの代替手段ではないのです。

――フランスでは、あなたの提案に対して、左派の間では賛否両論です。ここまでの指摘に加えて、アンリ・スターディニャックのようなケインジアンは、「JGPは資本主義の補助輪となってしまい、資本主義を超克できない」と批判しています。つまり、修正資本主義であり、資本主義をより強固にしてしまうのでは? と。JGPによって、資本との戦いを後退させ、企業の雇用義務等を減退させるのでは? と。逆に、他のケインジアンや、ロマリック・ゴディンのような左派の経済ジャーナリストは、JGP社会闘争の武器として、革命的な可能性を秘めているとしています。

チャーネバ:「JGPは、資本主義は超克できるのか?」という観点から考察してみましょう。JGPは、他の進歩主義的な政策を減退させたり、推進させるるものではないと思います。ただ、現状のシステムを置き換えることになるでしょう。今の経済システムには大量失業とその影響が埋め込まれていますが、これを放置したまま、なんらかの新しい段階に進むのは困難でしょう。社会主義者の中には、失業を増やすことで未来の革命の原動力にしたいと考えている人がいるかもしれません。私はこうした考えには立ちません。JGPは、失業という痛ましい現象を根絶します。それとは別に、革命的な政策を望むなら、JGPと一緒に実施できるでしょう。実際レベルとして、アメリカの労働組合は、JGPの採用を支持しています。ETUC (欧州労働組合連合) もそうです。JGPの効果を、多くの人に理解してもらう必要がありますね。JGPによって、失業の恐怖がなくなれば、企業とも、さらに強い手段で交渉できるようになるでしょう。様々なことが新たにできるようになります。JGPが資本主義を救済するのか、超越するのか、については私にとってはあまり重要な論点に思えません。JGPをはまずもって、非常に不安定な経済システムにポジティブな変化をもたらすからです。そして、今やこの政策は非常に好評を得ています。これは世論調査に表れています。資本と戦うにも、これは机上の空論ではなく、具体的な手段となっているのです。新しい社会契約の基礎となるものです。ロマリック・ゴディンが言うように、革命的な可能性を秘めていると思います。JGPによって、権力関係は労働者により有利となり、労働者はより大きな力を得るでしょう。もっとも、私はJGPによって資本主義は超克できないことは、率直に認めます。JGPは、資本主義のあらゆる問題を解決するものではないからです。

――民間企業は、JGPを恐れるべきでしょうか? それとも、安定的な需要を生み出し、経済を安定させるので、企業にとっても歓迎すべき政策なのでしょうか?

チャーネバ:あくまでも私見ですが、まちがいなく民間企業はJGPに反対するでしょう。雇い手側の重要人物や、ステークホルダー達の反応を観察すれば分かります。もっとも、興味深いのは、市民社会のあらゆる部門からJGPへの支持が見られることです。なので、問題となっているのは、どうやって実現するかですね。産業界のトップたちが大反対するのは間違いないからです。彼らは常に、こうした政策に反対してきました。インドではなぜ成功したのでしょう? 政府が法律化に成功したからです。それによって、政府が雇用の確保に責任を持つようになりました。もっとも、インドでのプログラムには、多くの問題を抱えています。そして産業界は常に、こうした政策を毀損させようとするでしょう。政府の予算化や、労働者の公的雇用化を妨害しようとするでしょう。低賃労働者を確保しておきたい資本家の特権を剥奪したいなら、十分なプロセスを踏んで、政策を実施する必要があるでしょう。最低賃金と完全雇用を実現したいのなら、仕事も保障しなければならないのです。フランクリン・D・ルーズベルトは「既得権益者は、赤ん坊のように際限ない要求を行う。常に不満を述べていることを認識した上で、無視すべきである」と言ったのです。


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