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垂れ流せる勇気。

ものすごく好きな作家がいる。
嘉村礒多(かむらいそた)という。
明治から昭和にかけて活躍した私小説作家である。
といっても、作家生活はたったの6年。享年36歳。
生前はまったく注目されなかった非業の作家だ。

キャッチフレーズは「私小説の極北」。
彼の作品(32編の小説と、42篇の随想)は、すべて本当の事で出来ている。嘘偽りは一切なし。思ったこと、感じたこと、やったこと、やられたこと、全部、そのまんま書いている。
私生活の垂れ流しだ。

昔から読書狂だったので、人に乞われて本を薦めることが多かった。
関係が浅いうちは、川端康成の『古都』とか、宮本輝の『錦繍』とか、ヘミングウェイの『老人と海』とか、無難な本を薦める。
喰いついてくれたならば、少しずつ、そこに毒を仕掛けていく。
谷崎だったり、夢野久作だったり、カポーティだったり。
それでも全然大丈夫そうな猛者には、仕上げとして差し出すのだ。
嘉村礒多の『業苦』を。

いまのところ、それを「おもしろい!」と言ってくれる人に出会ったことがない。残念だ。実に残念だ。
みな、一様にこういうのだ。
「いや、この男サイテーすぎるんですけど?!」
「胸糞わるすぎて途中で破いてしまおうかと思った!」
「ごめん、ちょっとあんたのこと軽蔑する」

えええええええ・・・?
何故なんだ。どうしてこのおもしろさが伝わらないんだ?
同居する女(不倫相手)がお土産にお弁当もらってきて、そのお弁当を自分にくれないで、勝手に食べちゃったから、むかついて、その女の腹めちゃくちゃに蹴りあげて、でもそんなことしちゃった自分がなんか可哀そうになって、哀しくて、ひとり庭に出てわーんわーんって泣いちゃう。
そういう礒多、おもしろいじゃん。
つーか、私は腹抱えて大笑いしたよ? 
人生で声出して笑った本って、礒多と町田康だけなんですけど?

長年、嘉村礒多のおもしろさを伝道することができない自分の不甲斐なさに打ちひしがれていた。
コミュ障だからだろうか。プレゼン能力がないからだろうか。
それとも、私がおかしいのだろうか?
いくら明治だとはいえ、男尊女卑が甚だしい小説を読んで笑えるなんて、人間じゃねえわってこと?
うーん、でも、礒多のおもしろさは突き抜けたダメ人間っぷりであって、それを無修正で書いているからおもしろいのであって、別に私だって、女の腹蹴り上げる男はクズだって思ってるわよ。あたりまえよ、そんなん。
暴力反対! 絶対反対! 女子供に暴力ふるうやつは許せないです!!!

そういえば、私にとってのもう一人の「小説爆笑王」、町田康の作品にも同じ匂いを感じる。ダメ人間の極北というか。
書かれている内容自体はクズそのものなのに、なぜかそこに出てくる人を憎めない。むしろ愛している。
氏のお書きになった『ギケイキ』、義経記の現代翻案小説なのだが、これのおかげで生まれて初めて義経を好きだと思えた。
それまでは歴史上一番嫌いな男だったのに。

もしかしたら、町田康なら嘉村礒多がおもしろい理由を解き明かすヒントを与えてくれるかもしれない。
そう思って読んだのが、
『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?』
(町田康 NHK出版新書)。
そこには、ばっちり答えが書かれていた。

これをやったら、誰でも、無名であろうが、なんであろうが、絶対におもしろい文章を書くことができるというコツがあるんです。
 これは何かといったら、ひと言で言えるんです。これはですね、「本当のことを書くこと」なんです。(中略)実はね、これをやっている人は、ほとんどいないんですよ。文章がうまい人はいます。文章のうまさで読ませる人はたくさんいます。でも、そのときどきの本当の気持ちとか、本当に思ったこととか、本当に考えたことを、自分が本当に―というのは、本当に頭の中で浮かんでいたこと、これをそのまま書いている人、(中略)ほとんどいないんですよ。でも、たまにいるんですね、たまにいると、そういう人の書いた文章を読むと、メチャメチャおもろいんです。

『私の文学史』第9回 エッセイのおもしろさ より

これだ。これなのだ。
本当のことを、そのまま書いている人。稀有な人。
それこそ嘉村礒多であり、町田康の小説に出てくる人なのだ。

『私の文学史』では、こうも言っている。
本当のことを書ける人はあまりいない。なぜなら、カッコいい文章を書きたいという自意識と、「こんなこと書いたら破滅するかも」という恐怖に阻まれるから。

確かにそうだ。
今こうして文章を綴っている無名の私でさえ、カッコつけたいし、炎上が怖い。そんで、結果、クソつまらない日記に毛が生えたものを発信している。
プロの作家さんなら、その恐怖はなおさらだろう。

そう考えると、嘉村礒多って勇者じゃないだろうか。
あれだけ破天荒な毎日を、嘘偽りなく、そのまんま書きまくったのだから。
だもの、メチャクチャおもしろいのは当然なのだ。

いや、それでも嫌だよ、女に暴力ふるう男の「本当の」話なんて。
ああ、そんな声が聞こえてきそうではある。
でも、騙されたと思って、どうか一読。
垂れ流す勇気に満ち溢れた小説。
それを考慮したうえで、一度だけでも。



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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。