0158:自分でも分からない絵
自分でも分からない衝動のままに、絵を描く時がある。
子供の頃から台風が勢力を増してくると、こうした言葉にできない絵を描いていた。
ぼくは風と子どもの頃から言葉を交わすことができる。(ぼくにとってはそれは現実だけど、夢物語のように捉えてもらっても構わない)
人間でないものと言葉を交わすなんて、自分は特別な存在なのだろう、と思い上がっていたこともあった。
この衝動は、特別な使命から天に描かされているのだ、と。
けれどもぼく自身が、これが何を表しているのか、どんな特別な力を持った絵なのか、まるで分からない。ぼくの力や使命を教えてくれる誰かを待っても、そんな人は現れない。
風も「よくわからんけど、いい絵だな」というだけで、何も教えてくれない。
ぼくはそのうち、描かなくなってしまった。
今日、久しぶりに絵を描いた。
夏日ではあったが、風は悠々と吹いている。
コンクリートの上にシートを敷き、くしゃくしゃにした和紙に絵を描いた。
風が体を撫でるたび、一筆、ひとふで線を描いていく。
風は楽しそうに見ているが、相変わらず何も言わない。
出来た絵を見て、ぼくは悟った。
この絵は何も、特別な意味はない。
ただ、たまたまぼくは風と心を通わせることができて、風も同じだっただけだ。よく猫や犬に懐かれやすい人がいると思うが、同じ類のものだ。
ぼくの衝動というのは、“風と共に絵を描きたい”という、それだけのものだった。
ただ、風の吹くまま、共に踊るように描く。
それだけの衝動だ。
途中で書く事をやめたのは、これが特別な力でも指名を帯びているわけでもないことに、薄々気付いていたからだ。使命や特別な力ばかりを求めていたから、これを描くことに何も意味がないなんて、思いたくなかった。
でも、これはただの絵だ。それで構わない。
大人になっても風と言葉を交わしたり、共に絵を描ける感性が残っている。
ささやかな感覚だが、失われなかった。
世の為人の為にならなくても、ぼくの人生を豊かにしてくれる。
長らく描かないでいたから、線もたどたどしく、和紙と画材の組み合わせも悪い。
けれども、これを描き続けたい。今度は特別な使命を求めずに、ただ表現をより良くしていきたい。
その始まりの絵を、ここに残しておくことにする。
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