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「父の父」というルーツについて

競走馬の世界では「母の父」(いわゆる母方のお爺さん)が脚光を浴びる事がある。例えば、G1を6勝しているオルフェーブルという馬は、性格面の荒々しさだと父のステイゴールドに似ている。しかし、能力面や勝負強さだと母の父であるメジロマックイーンの要素が表れているから面白い。

また、日本競馬界は「父の父」がサンデーサイレンスという一頭の種牡馬で割と独占されてしまっている傾向にあるからこそ、ますます「特異な母の父の血」を巡る喧騒は続きそうな予感がある。

今年1年間セルフパブリッシング(個人出版)をやってみて思ったのだが、我が家はあまり表現者と呼べる人が少ない。父と母は銀行員で、母の父は公務員だ。真面目な一家からこういう文学青年が育つのは、まさに瓢箪から駒なのだ。

いや、肝心な方を忘れていた。僕の父の父――要するに父方のお爺さんだ。彼は戦後シベリアから命からがら帰国し、自宅で出版業を営んでいたのだ。都内某所の祖父の家は、かつて3階が仕事場で幾つかの部屋があった。その奥には、蔵書用の部屋もあった。幼い頃の記憶だと、その狭い部屋は本棚で独占されており、そこには無数の本が並べられていた。僕のセルフパブリッシングのルーツは、もしかしたらあの部屋に有ったのかもしれない。

祖父母亡き後、あの部屋(もとい家自体)は父の姉が使用しており、迂闊に入れなくなってしまった。果たして、今はどうなっているのだろうか? 僕の立ち位置が変化している今だからこそ、改めて入ってみたいのだが……。

ちなみに、実家の目と鼻の先に母方の祖父母の家が有るので、父は事実上「マスオさん」の立場だった。これは世間とは逆なので、「父の父」と「母の父」の役割も逆転してしまった……と考えるのはちょっと強引だろうか?

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)