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7年住んで、ようやく現地語の勉強を始める

中央アジアのU国に住み始めて7年以上が経ちました。しかし現地語であるU語の文法はおおよそ勉強しましたが、会話や読み書きができるようになるための勉強はずっとできずに今まで来ました。ひとつの理由はすでに知っているロシア語が仕事・生活の多くの場面で通じること、ほかの理由としてはU語に愛着が持てなかったこともあります。U国自体に愛着が持てていないということもあります。

U語やU国に愛着が持てない理由は自分で説明できるところもありますが、きっと無意識に感じている理由もありますので、すぐにまとめきれない気がします。しかしながら、何はともあれ、ある国の言葉を知ることとその国の文化を愛することは密接な関係があります。ですので本当なら無理にでもU語の勉強を始めるのが良かったのだと思います。単に私がそれをサボっていたと言えるでしょう。

ある民族の言葉を学ぶ重要性は分かっていたつもりですが、昨年末に読んだ茨木のり子の記事は、それを私に再び思い出せました。

茨木のり子は韓国の詩人ホン・ユンスクに出会ったばかりのころ、まだ習って間もないハングルで次のように書きました。

(前略)
ホン先生の手紙は、素晴らしい日本語の文字ですね。
言葉を奪ったことは、戦前の日本の罪と考えて、私は汗を流しながら韓国語の勉強を続けています。
私が通っている新宿の韓国語教室には、日本人がたくさんいます。彼らもそんな考えでしょうか?
おそらく・・。
(中略)
また手紙をくださる時には、韓国語で書いてください。
私が勉強するために。
さようなら。
1979年3月6日
茨木のり子

U国の人たちとロシア語や日本語で話しているのはその国の人たちの言葉を奪っている行為ではないのか。そこまで大げさではなくても相手を尊重しない行為ではないのか、そういうふうに思って、今やっとU語を勉強することにしました。

目標としてはU語の文学を読めるようになりたいです。日常会話にとどまらず、相手の民族の文化、心性まで分かるようになりたい、そういうふうに思っています。実はこの国に私がいることができるのもそんなに残り長くなさそうなのですが、その時間を大切にしてここの言葉を、そして文化を勉強してみたいです。

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