母への手紙「蒼鷺」を綴る1 〜大切なモノを歌うこと〜

2022年5月6日(金)。鈴木何某の3rdSingleとなる「蒼鷺(あおさぎ)」のMVをYouTubeに公開した。

サブスクは、5月21日(土)にSpotifyやAppleMusicなどの音楽配信サイト各種より配信される。

前作の「MONSTER」公開後、自身と向き合うことの大切さを理解してから、改めて今後「何を歌っていくか」を考えていた。

自分がこのときに掲げた信条は「楽しみ続けること。音楽を好きでいつづけること。音楽を生業とすること。」これは、人生の道標であり、自分が思い描く最高の幸せだ。

この信条を達成するために、歌うことで自分自身が幸せになれる楽曲をつくらなければならないと思った自分は、「何を歌っていくか」という漠然とした問いに対して、「自分が大切なものを歌う」という答えにたどり着いた。

何かを大切だと思うことで、人は幸せを感じる。それがギターであれ、恋人であれ、自分自身であれ、それを大切だと思うことで人は幸せを感じるのだと思う。何かで耳にしたが、かの瀬戸内寂聴氏が曰く「人は誰しも幸せになるために生まれた」。それならば、自分は大切に思うことを歌にすることで幸せになることができる。そのために生まれたのだ、とも思う。

自分のシンガーソングライターとしての信条、ひいては人生の道標を見定めてから、次の曲は「母」のことを歌おうと思うまでは、時間はかからなかった。

きっかけ

SNSでは音楽のことばかり発信をしているが、もちろん自分にも日常の生活が存在する。買い物もするし、下手なりに料理もするし、サラリーマンとして働きながら高齢の両親と家族3人で暮らしている。

母は12年前に「くも膜下出血」という大病を患い、左半身と脳に後遺症が残った。青天の霹靂だった。料理がうまい、歌がうまい、いつも元気な母の姿はもうそこにはなく、生きることだけで精一杯の存在になった。当時20代前半だった自分は、あまりの急な出来事と環境の変化に心が追いつかず、暗い日々をおくっていたのを覚えている。

その頃まだ元気だった父のフォローもあり、母は少しずつ良い兆しが見えていたように思えたが、母はさらにその後「悪性リンパ腫」という血液のガンを患ってしまう。悪いことはなぜこうも立て続けに起こるのか。そして、その頃から始まった認知症。最近では、耳も遠くなり通常の音量で会話することは難しく、昨日あったことさえも思い出せない。母が言うには夢と現実の区別もつかず、常に夢の中で誰かに悪口を言われているのだという。醒めない悪夢。

身近な親しい人を悪く言うというのもその症状らしく、自分が仕事から帰ってくるなり「嘘ばかりついてそんな子に育てた覚えはない」とおもむろに説教を始める。それに対してついカッとなって怒鳴ってしまうこともしばしばあるが、その度に自責の念に駆られると同時に、母が病気であることを受け入れられない、認めたくない自分の存在を知る。

そんな母に、何かしてやれることはないかと考えて、脚の筋力も衰えて車椅子となった母とともに、1年ほど前から週末に散歩にいくことにした。散歩をすることは母の希望で、どうやら外の空気に触れるのが気持ち良いらしい。しかし、その道すがら話を聞くと、昔と夢が混ざったようなことばかり、さぞ楽しそうに語る。それは逆に今の生活や辛い現実を逃れて、過去の理想や夢に包まりたいという母の願いとも感じてしまった。

悔しい気持ちにしかならないこの散歩が、実は自分は嫌いだった。そのおとぎ話のような言葉に、相槌を打つことだけしかできず、母にとって何の為にもならないんじゃないか、とさえ思うこの時間が苦痛で仕方なかった。それでもやめなかったのは、母がそれを望んでいたから。それだけだ。

散歩を始めて半年ほど経った頃、いつもとは違う道を選び、見慣れない池の近くに辿り着くと、母は一羽の鳥を指差して「きれい」と呟いた。最初興味のかけらもなかった俺も、その鳥を見る度に魅了されていき、いつしか散歩は鳥を見るために目的が変わっていった。

母は、その鳥を見ている時だけ過去でも、夢でもない、「今」の話をする。母と共に生きている「いま」ここで、「今」の話ができることが、こんなに嬉しいものなのかと思った。少しでも「今」を、新しい出会いを、新しい思い出を感じてもらうこと。それが自分の望みであり、幸せなのだと悟った。

書店で野鳥図鑑を買い、母と一緒にその鳥の名前を調べた。自分と母の今を繋ぐ、唯一の鳥の名前。

「蒼鷺」

母が好きなこの鳥の名前をタイトルして、自分が大切に思う母のことを歌うことを決意した。


次回は、歌詞を書き始めてからのことを綴ることにする。


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