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「自己肯定感が低い」という友達と話したこと

コロナ禍に知り合ったM君は、最寄りから数駅行ったところに住んでいて、近所でご飯を食べたり、銭湯に行ったり、何度か話をした仲だ。

GWも終わった頃に、半年ぶりくらいに連絡が来たので昼飯を一緒に食べる約束をした。


駅前で待ち合わせをし、食堂に入り、まん防が明けてからどうした、とか、GWはどう過ごしたとか、お互いに近況報告をした。
最後に会った時に入ろうかと話をしていた運動サークルは、どうも練習が厳しくあまり馴染まなかったらしい。
彼は「タンパク質を取らないと」と言いながらチキンの入ったパスタを注文していた。

食事を終え、スタバでも寄っていく?と誘うと、「スタバは高いから別のところがいい、節約しないと。」と言うので、コンビニでコーヒーを買って駅前のベンチで座って話すことにした。

パートナーが欲しいけどうまくいかない

いろいろ話を聞くと、最近の恋愛についての話題になった。

「パートナーが欲しくてマッチングアプリで出会ってるけど、なかなか関係が続かない」と少し不満げな顔だった。

気になる人がいるなら自分からまた声をかけたら?と聞くと、「気に入った人だと、自分なんかが誘って良いの?って思っちゃう」と。

確かに、関係がまだ希薄な相手だと、場合によっては既読スルーされたり、既読すらつかなかった経験は私にもある。
少し寂しかったり、初対面の時にはかなり会話も盛り上がったのに…? ということもあるが、相手には相手の事情があるのだから、そういうことなのだろう。

ただ、自分のことを軽く扱う人はこちらから連絡は取らない、という話をした。
どんなに見た目や持っているものが魅力的でも、こちら(自分)を尊重しない相手に、自分の大事な人生の時間を割く必要はない、というのが持論だ。

すると、Mくんは「自分は自己肯定感が低いのだと思う」とポツリと言った。

好きなことがわからない

Mくんは、何年もジムのレッスンに通い続けていたり、海外で働いていた経験もあったり、私にできないことを経験してきた人だ。
一方で、私が音楽をやっている話を憧れの気持ちで聞いてくれたりもする。

素直で素敵な人だし、仕事も(少し不満もあるようだが)ちゃんと続けて立派に生活しているし、好きなことをやってるのに、自己肯定感が低いのは何故だろうか。

Mくんはどんなことをするのが好きな人なの?と聞くと、「自分の好きなことがわからない」と言う。

「自分のしたいことより、周りが望むことを優先して選んできたから、自分が何をしたいか考えないようにしてきたのかも。」

自分軸と他人軸

自分軸と他人軸の話をしたら、「『嫌われる勇気』で読んだ気がする。」と言っていた。

学校とか会社とか、人と比べることが続くと、自分の価値観よりも他者の価値観を優先するようになってしまって、自分の気持ちがわからなくなることがある、というような話。

本当はやりたいことがあるのに、これをするべきと言うことばかり行動してると、心がスネてもやもやした気持ちになったり気力がなくなったりもする。

この話をしたあと、何か気になったことはある? と聞くと、性の話題が出てきた。

ビデオなどを見ていて、こういう風に自分もしないと男らしいと思われないんじゃないか、という思い込みがあった、と話してくれた。

本当はどうしたい? と聞くと、「それとは真逆。もっとまったり過ごしたい。」と即答だった。彼の中で自分の好きなようにしていい、と許可が下りたのだなと感じた。


頭 vs 心と身体

私はよく、人は頭と心と身体から成り立っている、という例え話をする。

頭は、この文章を読んだり考えたり、思考や言語、理性を扱う部位。
心は、好き嫌い、楽しかったりがっかりしたり、気持ちを司る。
身体は、元気に動ける・気が乗らなくてダルいなど、肉体そのもの。

他人軸で考えてしまう人は、頭 vs 心と身体 というように"チーム自分"が仲違いをしていて、本来持っている実力がちゃんと発揮できない状態が続いているように感じる。

一方で、心からやりたいことだったり、身体が十分に休息が取れている状態で目標に突き進む人は、"チーム自分"が一丸となって最高のパフォーマンスが出せるようになる。

頭と心と身体、この三者がお互いに信頼していることこそ、自信がある状態なのだと私は思う。

そして、自信は頑張って苦労して努力してつけるというよりも、自分の中の心と身体がお互いを大事に気遣ううちにいつの間にかついてるものじゃないかな、と。


彼の話を一通り聞き、例え話を出しながら、好きなようにやっていいんだよ、と伝えると、今日いちばんの良い表情で「これから好きなことをしに行ってみます。」と言ってくれた。

他人軸で生きた方が楽な面もある

節制や節約も大事だけど、自分のために好きな食べ物を食べたり働いたお金を使って良いよという話をした。ニコニコしながらも、「もしかしたら、他人軸でいた方が考えなくていいから楽だったかもしれない」と笑っていた。

確かに、自分が本当は何をしたいのか、人によってはすぐ見つからなかったり、答えのない問いでもあるし、それを考え続けるのはある面では辛いのかもしれない。
自分の好きなこと、やりたいことがなかなか見つからないから、他の人が喜ぶ選択を選び続けるうちに、知らず知らずに他人軸のレールを歩くようになったのかもしれない。

ただ、彼にはこれからはいつでも自分の心に、本当はどうしたい? と聞きながら、楽しんで過ごしてもらいたいと思う。

また数ヶ月後、どんな話が聞けるか、楽しみだ。

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