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寛容でいたい自分と、価値観が変わる痛み

昨日、バンド練習後の二次会として、
友人と二人で飲みに行った。

最近の近況を一通り聞き終えると、彼はふと
「寛容さってなんでしょうね」と話し始めた。

彼はディズニー映画が好きで、
「リトル・マーメイド」も見に行ってきたそう。

主役のアリエル役に黒人歌手が起用されたことには、
「良い試みだと思う」
と言いつつも、
「自分が昔から思い入れのあるアリエルとは
やっぱ何か違和感があった」
と話してくれた。


頭ではわかってるけど、心が慣れない

私自身の近い体験も思い出した。

友達が何かを始めた時に、
そのやり方が私自身の好みとは違った、
ということがあった。

友達としては、その人の道を応援したいと思いつつ、
それでいいのか私自身も不安に感じているから、
素直に応援できない。そんな葛藤があった。

共通の友達に「あの人は間違ってるよね?」と
ネガキャンすることも可能だけど、
そんな自分にはなりたくない。

今できるのは、
自分がそう感じてしまったことは認める。
だからと言って、相手を否定することはせず
心から相手の行動を信頼できるまで
その話題はしないようにする。
くらいだろうか。

自分自身が腑に落ちていないと、
昨日書いたように余計な一言を言ってしまうと思う。


いずれ時間が経てば、何かが変わるかもしれないし、
自分もその価値観に慣れてくるかもしれない。
「あの時はびっくりしたよ」と
笑って語れるかもしれない。

だから、今のもやもやに良い悪いの結論は出さず、
価値観が違うんだな、とただ受け止める。

価値観が変化する過渡期にあるんだな、と
それだけ理解できていれば良いのかな、と思った。


価値観の過渡期と衝突

価値観が変化していくときは
すぐについていける人、なかなか飲み込めない人
両方がいるから、過渡期には葛藤があると思う。

それでも、彼の葛藤はいいなと感じた。
本来ありたい自分と、今の自分が少しだけずれていて
どうにかしたいと考えて足掻いている。

すぐに答えは出ないけど、
この衝突と痛みも、新しい価値観に成長する
必要な痛みだと、感じながら過ごせると良いなと思った。


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