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自分の傲慢さと、それを指摘してくれる人のこと

先日、依頼しているコーチとの対話で、
私自身の傲慢さに触れる機会があった。

仕事の取り組み方で空回りしている部分があって、
行き詰まっている話をした時だった。

私は、自分の仕事を楽しくやっているつもりだったけど
それを受け取る相手がおざなりになっていることを
気が付かせてもらった。

「自分の仕事には価値がある」という思いが強く、
自信でもあるけど過信にもなっていたりして、
相手を置き去りにした仕事になっていることを指摘された。

自分の仕事は、自分ができた・楽しんだからOKではなくて、
クライアント、商品を買ってくれるお客様、一緒に働く人にも
正しく伝わってこそ価値になるんだと思う。

それにも関わらず、自分は良い仕事をしたと
一人で満足してしまっていて、
本当に相手が必要としているもの、
信頼して依頼してくれた相手への感謝を
忘れていた行動になっていた。

うっすらと気がついていたものの、
改めて他人からそれを言葉で指摘された時、
いつからそんな振る舞いをしてたんだろうと
恥ずかしい思いでいっぱいになった。


過去にも一度

父親に私の傲慢さを指摘されたことがある。

学生時代に大会で表彰された時、
自分としては頑張ってきたことが認められたのが
楽しくて嬉しくて、調子に乗ってたのだと思う。

それを手にできたのは、一緒のバンドのメンバーや
学校に行かせてくれた家族のおかげだということを忘れて
自分が頑張ったことはすごいんだ、実力が評価されたんだ、
というような気持ちが、何か行動や発言に
出てしまっていたのだと思う。

その瞬間は、なんでそんなこと言われるんだろう、と
思いつつも、後からじわじわと恥ずかしさが出てきた。


指摘してくれる人は少ない

身近な人、親しい人の傲慢さを指摘するのは、
言う側も簡単なことではないと思う。

場合によっては相手が怒りだしたり、
関係が崩れることもありうるから。

年次や役職が上がっていくにつれて、
自分を正してくれる人は減っていく。
いつでも、自分を厳しく見てくれる人が
近くにいてくれることはありがたいことだと思った。

別に、コーチや親のような立場じゃなくとも
同僚、友達、部下であっても、
自分に対等に客観的に意見できる人が存在するということ。


自分のしてしまった行動は取り返しはつかないけど、
傲慢な自分ではいたくないから、
せっかく伝えてもらったその言葉を次にどう活かすか。

そんな自己反省のあった、猛暑の週末でした。



あとがき

先週、映画「君たちはどう生きるか」を見てきた。

自分にとっては、作者からのメッセージに対して
感情の咀嚼が追いつかなくて、
作品に影響を与えた同名タイトルの漫画を読んでみた。

友達を裏切ってしまった主人公が
その他人の失望をとり返し、どう行動するか、
今の自分の励みになる作品になった。



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