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生活保護日誌.85

僕の思い込みは日々流れる出来事によって更新される。それは、僕自身すらも吹き飛ばして、見たこともない僕を立ち昇らせる。

言葉で言っちゃありきたりだけど、体験を伴った今となっては、ほとほと疲れ上げた。笑い慣れていない頬にえくぼが刻まれ、年の分だけ累々としたしわが僕を現実へと引き戻す。

もうどうにでもなれ。

自暴自棄とも呼べるこの発言には、僕の意識の範囲ではとてもじゃないが覆いつくせない世の中と僕がどんなに狭い世界で悶々としていたかの反省を込める。

最近、僕のアビリティとも呼べる「気配察知能力」が鳴りを潜めている。

僕が万能感を持つためにむやみやたらにその能力を使おうとしていた罰なのだろう、まったくもって何も気付いてくれない。

前を見れないし、かと言って見ようとも思ってないのに道行く誰かの顔を拾い見して、寸で目を逸らしたり。「ああ、失礼だったなあ」と反省する暇もなく次なる出来事がどんどん押し寄せてくる。

朝の洗濯機の水の入れ忘れ。

社会福祉協議会”あんしんサポート”の金銭の受け取り。

ショッピングセンターの等身大動物の動く置物と不意打ちのように目が合って笑いが込み上げ、その表情を見られたくなくてくちびるを押し合わせて耐えながら歩いたこと。

第一「もう外には出たくない。だから引きこもって文章書いて、絵を描いて、歌を作って夢中なる日々を過ごすのだ」と思っていたのに。

昨日実際に引きこもって、絶望を感じながらも、思いのたけを紙と空間に吐き出して、これからずーっと引きこもり生活をしようと思ってたのに。

イオンのネットスーパーの会員登録までしたのに。

今日になってケロッと外出してる。今日は晴れていた。昨日までは雨が降っていた。天気が原因だと決めつければそれで済むことだが、結局のところ何が僕の調子を司っているのか分からん。予測はできるが裏切られ裏切られ、そばにいる自分自身がとっても遠い存在に思える。

でも、そのたびに僕はその時々何かをしている。

誰にも言われなくても買い物に行った。洗濯をした。朝起きては布団を畳み、フローリングを箒がけした。朝食は卵かけごはんだの納豆だの質素なメニューだがきちんと食べている。

なんかもう、降参です。

僕を好きにしてください。

そのようなお手上げ状態の中、今文章を書いています。

僕の予測が離れたところで僕の深い深いところの僕自身が作り上げられているとしたら、もう、どうにもできないや。

悪意あるやろ。ショッピングセンターの動く動物の置物。人の視線を受け止める度量がなかったから視線の留め置き場所にあんたがいて、僕がやっと視線の人心地つけるわーと思ったら、すすーっと同じタイミングで置物の顔だけが僕の方を振り向いてきよった。

普段表情が死んでいる僕は公の場で素が出ざるを得なかった。くちびるがわなわな震えながら、そんな自分を見られたくないし恥ずかしかったしワープして家にすぐ戻れるわけでもない。もう目的地がどこやったか忘れるくらいカオスで、方向感覚バグってました。

もう「外に出ないでやるー」って思った出来事っていうのがな、一昨日しんどかったけど外出して、人に出くわしませんように人に出くわしませんようにと祈りながら(そんなこと地方都市ではありえません)歩いてるとな、一人のマイルドヤンキー風の男性に出くわしてしまった。

僕はその人の存在を見ずにすれ違おうとして、内心バクバクさせながらもオードリーの春日氏のようにゆっくりと歩いているとその人が僕をじろっと見て立ち止まっている。

もうそこで「あかんわ」と思いながらも内心びびっとんのを悟られたくなくて僕もスッと彼を見返して足を止める。

一対一の勝負。

僕は持っているハンカチを放り投げて、拾い上げて、すてごろやかかってこいとハンカチをパシッと拾って相手に視線を戻すとだーれもいない。

ああ、これ、幻覚なんとちゃうか。

と思った(診断はされていません)

まあ、近くに中古のベルファイヤーが停まっていてそこに例の兄ちゃんが乗っていたと思う。ブルブルアイドリングかまして、そこの駐車場が歯医者の駐車場でその兄ちゃん「あほくさ」と思って車に乗って診察の順番を再び待ちに戻ったんだと思う。

そもそもが人と一対一になってハンカチ投げてって、どこの時代劇や、タイムスリップしてお侍さんにでもなったつもりかあほかいな、と傍から見たら「ヤバい人」のヤバさ加減がどえらいことになって、もう、いてこましてやろかとほんま警察のお世話になりそうになりました。

でも視線を外してしもた時点で負けです。ハンカチ投げては「私はもう白旗ですよ」と後になって気付いて勝手に屈辱感じて、そんなこと出来事あってご近所でそげな姿晒し上げてしもたと思ったから、

「もう外に出られへん」

と落ち込んで落ち込んで、夜眠れなくなるやろなーと思いきや、その日ジョギングがっつり行った分スヤスヤでした。

そんな出来事があって昨日はガーっと自動書記でワードで文章を書きまくって、写真見てひとりごと呟きながら写真見ながら画用紙に絵を書きなぐって、そんでもってギターを取り出してFコードだけ弾いて降りてきたリズムに従ってカラスさんの気持ちを歌にして引きこもりの僕を宥める子守歌。

その一昨日の例のお兄さんとの決闘未遂(もうそれが僕の幻覚だったでもいいわ)があったからこそ恥ずかしさの晒し首ぶら下げて引きこもって創作して没頭して、今日は清々しい晴模様で昨日までの心に吹き荒れた嵐はどこ吹く風でおでけけ。

「これから”引きこもりますから”、社会福祉協議会のあんしんサポートに直接お金を受け取りにいけません。なので先日教えていただいた「自宅への訪問お金受け渡し」お願いいたします」

なんて言いながら翌日の今日早うコインランドリーで洗濯して買い物済ませたいわーと外出てアパートのロビーで目を閉じて待っていて、指定した時間に支援員がなかなか来なかったから

「こりゃ今日は外出する日じゃありゃせん。ずらかりますわ」

と重たい洗濯物が入ったビニール袋をよっこらせと両の腕で支え持ちながら自室に引き上げた瞬間に社協の担当者から連絡が入って

「草鞋さん、今アパートにつきました。ここのアパート駐車場停められないそうなので、下に降りてきてくれませんか」

と思った時、はあー…もう、僕の予測を超えた領域に今日の僕が阿波踊りしてトリップガンギマリこんでますわと、また重たい洗濯物を持ち上げてのっしのっしと階段を降りあがる。

青空の下、「社会福祉協議会」の文字が入った軽のバンがアパート前に駐車されていて社協の支援員のお姉さんがうやうやしく待っていました。

貴方にはイライラしていません、今日の僕の”運命からの翻弄されられ”にほとほと、イライラを通り越して呆れかえって心臓バクバクです。

という気持ちはつゆ知らずの冷静を装った顔で「お世話になりますー」と言って、”一週間一万円生活”のスタートを切る諭吉様の入った封筒を受け取って、書類にサインでビリビリ裏写しの紙を支援員のお姉さんからゲット。

その場でその紙を紙飛行機にしてカオスきった気持ちもお空に飛んでけーなんて、そんなことできるはずもない空想は言葉から放たれる息に乗せて、吐き出して。

(社協の支援員のお姉さん)
「この車、『社会福祉協議会』って載ってますけど
草鞋さんイヤじゃないですか。
この車が自宅に停まられると迷惑です、
なんて言う方もいらっしゃいますから」

                           (二足の草鞋)
                  「大丈夫です。僕が『社会福祉協議            
                   会にお世話になっている人』って   
                   知って離れていく人とは、最初か  
                   ら関わり合いを持ちとうありませ 
                   ん。僕を理解してくれる人としか
                   関わりとうありません」


(社協の支援員のお姉さん)
「もう草鞋さんたら、
心の広い人ですね」

とのやり取りを終えて、「では、僕は買い物に行ってきますのでこの辺で」とのセリフを残して後ろを振り返らず街中へと続く一本道を進むのであった(まあ、すぐ脇道に入ったけどね)

それからはもう大変大変の嵐です。"You are my SOUL SOUL!"のリズムで人や車や風が織りなす気の流れに揉まれて、

フラーっとマックに入って「テイクアウトでポテトMください」と言っておいて一口二口ポテトを食べてから店を出たり(人一人しか通れない幅の動線、しかも椅子引きゃ後ろの人にぶつかる広さの店内でよく寛げるよなあ(じゃあなしてお前さんマックはいったんや)(知らん、風に訊けや))、

あんしんサポートからの金が入ったことでいい気になって雑貨屋さんで便箋と封筒を買って早々に1000円つこうてしもて、

スーパーに行って狭い通路をデンプシーロール決め込む幕の内一歩を憑依させたヤバい人(二足の草鞋)が、レジというボトルネック、風呂の栓抜いて出来る渦の中に飲み込まれなすすべもない僕は、明らかに「人見知りしますよ」という体でおどおどして、会計をやり過ごしたり。

この「人見知りしますよ」のおどおどとした態度は、相手に失礼な態度とは重々承知してます。そもそもそんな態度を気にする僕に対して「あんた気にしすぎやわそんなん誰も気にしてへんわ」なんて言われる余地あるのもジュージューソーキそばです。

でも、これも高校生くらいから発達障害の診断を受けて病院通いして培ってきた僕のペルソナです。僕の武器なんです。

本当は自分が障害者なんて思いたくないです。普通でありたい。

たとえ障害者だと開き直ってバスで障害者手帳を提示して「障害者だと思われても気にしませんよ」と思おうとしても、心のどっかで傷ついてます。

そもそも僕は、この自分自身が、生まれてこのかたこんな人間だということが、普通なんです。だから、障害者なんて思っていません。でも社会にはルールがあって基底にある「これはこうである」という常識だの予測だのを持たなければ、社会は成り立ちません。

皆が皆自分勝手に生きていたら社会が成り立ちません。

障害者だと自覚されれば自覚されるほど、無自覚に自分らしく生きようと充実した日々を過ごしていたとしても、「普通じゃない」とどこかで思ってしまうたんびに、自覚なされていない領域に存在する”自分自身”が怒ってしまうと思うんです。

僕は僕らしく生きようと機嫌よく過ごす、理不尽な人間関係から距離を取ってマイペースで生きられるよう生活保護でまずは経済的な不安を減らして、ただ単に平穏に暮らす自足たる生活に努める。

でもそこまで来るには苦しかった僕や楽しかった僕や周りの人々の助けや、周りの人々への恨みつらみによる怒りのパワーが僕を変化へとこれからも生きていくぞという気にさせる夢もくそもない退屈な日常を自分なりに築く動機にさせてくれた。

障害は「バリア」と翻訳されるから、社会の流れの速さと残酷さから身を守る砦とさせてもろうて、まあこれがあるから生活保護を受けられるから結果オーライな面もあります。

何が言いたいかよう分からなくなってます。

脳が暴走して、こりゃ自分じゃないなあと薄々ベールをまとわせて宥めすかせてシューイチ名越氏のシークレットトークでも見ますわ。

本音言うと、ええなって思ったりええにおいするなって思う女の子と一緒になりたいむっつりスケベ心をいなすのにとても苦労する。

そういった日々の何気ない抑圧が、怒りへと変わるんやろなあと思う。

リビドーやでフロイトさん。

でも自分を曝け出して風通しのいい男じゃないと女の子も近寄れんわ。

モテたいわ、でも口下手やから生活保護で働いてないから、そんじゃあ働けや、いやや、じゃああんたは今のままや。今は若いからええけど若さはあっというまやで。後悔しても知らんぞ?

なんて脳内会議からの首筋刃物の押し当てられ。いやもう僕の首にはすでに刃物が突き刺さってしもて声も上げられんくなっとんかもしれん。

そんでもな、最後に言うとく。

降りてきた言葉やから耳かっぽじいてきいとき。

たとえあなたの歩みの先に、一人孤独でワンルームで布団敷いて寝る老人の姿があったとする。それがあなただとする。あなたが選んだ道の先にはどうしても認められない未来のあなたがいるとする。それを受け入れる。泣きたくても受け入れる。たとえ綺麗事でもいい。だからこそ諦めてその道をひたすら進む。受け入れがたいあなたに向かって進む。その運命の裏切られがあるかもしれない、そういう退屈しのぎの夢を心ににじませながら、

あなたはあなたにできることだけをゆっくりとする。

もうどうにでもなれや。こんちくしょう。

その怒りがどこか去った分だけの隙間に疲れが入り込んで、疲れを取り除かれる風の音に耳を澄ませながら床に沈み、また明日が来るのを待とう。

おやすみ👋




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