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我が家の猫 実家で飼っていた猫たち①その1

当時の写真は残っていないから、写真は似ている猫を選んでみました。
この子に、とげをほいほいつけて、ただならぬ気配をつけてあげると、私の家で飼っていた一匹目の猫です。あとしっぽはない。片耳ももげている。

もともととても黒猫に憧れがあって(魔女の宅急便のジジ)、でもそれまで飼ったことのある猫たちは、はちわれ、キジばかり。とにかくキジ率が高い。合計4匹。犬の話はまた後日。

名前もそもそも、母につけさせると間違いなくミーと名付け、父に名付けさせると渋い名前が飛ぶ。時代劇か?昭和ですらない名前だ、くらいの。大五郎、平次。そう、最初と最後の猫は母がミーと名付けたので、これで4匹。(ただ、記憶をたどると、母は平次のこともミーと呼んでいた)
2匹のミーは、飼っていた時期が被らないし、そもそも1匹ずつ間をあけて、もらってくる、ひろってくることが基本だった。

1匹目は、ある日突然、姉(次女、高校生だった)が、道路わきに倒れている猫を見つけ、死んでいるかと思ったが、傍によれば、生きているとわかった。確か友達と一緒にいて、段ボールだったか毛布だったかを持ち寄り、くるんで、そのまま動物病院に抱えていった。しかし、病院側から、飼う意思はあるか、治療費はだれが出すかと問われ、とにかく助けたいけど、ねぇ、と、そこでやっと母に電話をした。
母はとにかく動物病院に駆けつけ、姉の様子と猫の様子を見てノーと言えず、保護して里親を探すか飼います、ということで治療がされた。確か、私が帰宅して玄関のドアを開ければ、そこに見慣れない段ボールがあり、のぞきこむと、中に猫がいた。ただ、元気はない。触るのもためらうほどの様子。

片耳がはんぶん、もげていた。

その衝撃のせいか、目が、うまく開いていない。

しっぽの根元だけあり、そのさきは、ほねだけだった。

ほねだ、という認識より、これはきっとほねだ、という認識。

根元の延長についてるし。

ただ、生きているし、今すぐ死にそうでもないが、もとが野良でごはんにありつけていなかったのか、少しやせている。

父は基本口数が少なく、穏やかで、頑固、ただ、母に甘い。
父は、その日何も知らずに帰宅した。確か。玄関のドアを開けて、無言で、その段ボールを見て、おぉ、というリアクションを2段階でして(1度目は、何か動物がいる、猫だ、というのと、2度目は、生きてる、こりゃ車にひかれたな、ということ)、ほうほう、と納得し、リビングへのドアを開け、ただいまーと言った。(状況を知らない父がどんなリアクションをするのかそーっと見てたので覚えている)
姉がそういう状態の生き物を見ると、どうにもじっとしていられない性分なのは、母譲りなんだと私は思っている。

動物でも人間でも。

父もそれはよくわかっていた。

あとあと、父と話して聞いたのは、まぁ、多分母か次女が拾ったんだろうと、そして、連れて帰ってきたら、もう何を言っても、里親なんか探さないし、飼うにきまってる、と。その時点でほぼ完全に、あー、猫飼うことになるなぁと。父が生まれたときにはすでに、ネズミ捕り用に猫が家に何匹かいたらしいので、猫に対して嫌だとか分からないとかいうことはなかった。
父が酔っ払っているときを見計らって徐々に聞き出した、猫の思い出話(父の子供のころ編)はまた後日。

とにかく、当時私にとって衝撃的だったのは、そのしっぽの骨だ。
骨=白い、というわけではない。もちろん交通事故後で、生々しい傷跡、いや跡というには生々しい。
しっぽの根元のほうは軽く処理をしてあり、ゆくゆく本格的に手術をするという。

手術。露出している骨をぱちんとだかぎこぎこだか切って、根元を縫う。
これは、父が当時の私にわかるように説明した言葉そのもの。聞いて、ぎえぇぇと両耳をふさいだのを覚えている。もう少し猫の体に負担が少ないように、何とかならないものかと子どもながらに思った。かわいそうだと。
耳は、多分そのまま傷口がふさがるだろう、耳の機能的にも問題はないだろう、と。

とにかく、炎症が悪化するとか、そういうのが心配だ、と。でもたぶん、大丈夫じゃないかという感じだった。

名前をすぐ付けるにはためらわれた。名前を付けて、回復できずに亡くなってしまったら?
人生で初めての猫が家にいるのに、まず触れない、人の気配がそばにあるのも負担だろうと、そっとしておきなさいと言われる。

しかも死ぬかもしれない。訳が分からない。



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