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思い出と言う結晶(妄想トーク)

今頃ですが、「ひよっこ」でお父さんが「重箱」を思い出したときに、「ああ、あめおさんは本当に世津子さんだけの思い出になるんだなぁ」と思って切なくなったんだよねーよかったねー「お父さん」戻ったね―とも思ったんだけど。あのドラマは一歩間違えるととんでもなく泥沼だった。いくらでも泥沼化させることは可能だったと思う。

それをさせなかったのは、登場人物の「引くことをいとわない愛」だと思った。いまどきのはやりは何でも自分自分、自分の思いが通じなければ世界が終るかのようなものが多いように思う。振られたくらいじゃ世界は終わらないというのに。

世津子さんは「思い出」結晶化させて、それをよすがに生きていけるんだろうな。それはそれで切ないんだが、こんなにも誰にも犯せない思い出があるっていうのも、うらやましいことじゃないか…なんてことも思う。

お母さんの全てを知ろうと思わない姿勢にも打たれたなぁ。知ってしまったら、全てが変わってしまう事もあるだろう。世界は変わらなくても「見る目」が変わってしまうだろう。実際の生活ではもっと生々しい理由で目をつぶってやり過ごすこともあるけれどね。それを「優しさでもあるよ」と言われた気がする。

みね子の初恋の終わりも、そういう優しさがありましたよなぁ。

うまく言えないけれど、朝っぱらからしみじみそんな感想をもちまして、それをここ数日ウシのように反芻してたんですよ。トークで短くすませようかと思ったんだけど^^;

駄文にお付き合い下ってくださってありがとです。






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