救世主ミヤウチ【表】 #4
紀元前753年4月。パラティーノの丘。
「み、みなさん! ちょ、ちょっと聞いてください!」
村の広場に集まっていた群衆の目線が、一斉にミヤウチに集まった。
「おお! アエスクラピウス様だ!」
アエスクラピウスとは、ギリシア神話に登場する医療の神である。
ミヤウチは計画通り、ここイタリア半島中部西岸のラティウム地方で、疫病に罹患した者たちに薬を投与し、治療を施した。苦しみから解放され、みるみる回復していくその姿に人々は目を見張り、ミヤウチが「神」に認定されるのも時間の問題であった。
「みんな作業を中断しろ! 名医、アエスクラピウス様がいらしたぞ!」
農作業をしていた男たちも手を止め、目を輝かせながらぞろぞろとミヤウチの元に集まってくる。気づけば、ミヤウチは500人ほどのラテン人に取り囲まれていた。
「ど、どうもどうも、あああ、ありがとうね」ミヤウチは白い歯を剥き出しにし、ヘラヘラと首を竦める。
「あいつ、完全に気持ち良くなってんな」デトリックスが言った。
「現世界では、まったく支持されていませんでしたからね。むしろ、毎日殺害予告を受けていたほどです」
ミヤウチが神と崇拝され、気持ち良くなっている頃、アモレスとデトリックスはパラティーノの丘から遠く離れた山の頂の上で、ミヤウチの「脇の下」につけられている盗聴糊から神の様子を窺っていた。
「あいつ、なんで民衆からそんなに嫌われてんだ?」
「理由は多々あります。公約を全く守らなかったり。でもまあ、1番の理由はあの天パと、吃り口調ですね。あれが、人を無性にイラつかせるんですよ」アモレスがそう言うと、2人は大口を開け、唾を飛ばして笑い合った。
普段は折り合いが悪く、常に険悪なデトリックスとアモレスだが、ミヤウチの陰口を叩く時だけはまるで親友のように意気投合するのだ。
「意外なことに、ここまではスムーズに事が進んでいますね。1つのことを除いてですが」
「ああ。ロムルスとレムスに嫌われたのはマズイな」
「まあたしかに、神と崇拝されてあれだけの支持を受ける者が現れれば、集落のリーダー的存在であるロムルスとレムスの立場が揺らいでもおかしくない。彼らにしてみれば面白くないでしょう」
「ここからどうするか、お手並み拝見じゃねぇか」
「よよよよよよよよよよよよよよよよく聞いてください! こ、これから皆様にはこの『奇跡の薬』を塗っていただきます! ただし、ご兄弟がいらっしゃる方は、どちらか1人で構いません!」
「どこの保健所だよ」デトリックスはそうつぶやくと、噴き出した。
「こらこら、デトリックスさん。ダメですよそんなこと言っちゃ。怒られますよぉ」アモレスは顔をひくつかせ、笑いを必死に堪えている。
ミヤウチは声を張り上げると、貝にたっぷりとのせてある白い糊を群衆に見せた。ただし、これは実際にはただの液体糊であり、ロムルスかレムスにつける盗聴糊は別の容器(貝)に保管している。
「おお!! あれが奇跡の薬!」「今すぐください!」「弟が、弟が死にそうなんです! 早くそれを!」群衆が沸いた。
「じゅ、順番ですからね! あ、こら勝手に触らないで! やめてください!」ミヤウチは依然嬉々とした表情を浮かべながら、伸びてくる群衆の手を振り払い、浮遊した。
ミヤウチを囲っていたラテン人たちは、皆同時に動きを止め、目を大きく見開き、口を半開きに開けたまま宙に浮かぶミヤウチを呆然と眺める。
「いいですか、あそこの立木の下で、一人ずつ順番に塗っていきますので、1列に並んでください! 1列ですよ!」
———1ヶ月前。
「お、俺?」
「元刑事はデトリックスさんだけです」
「いや、元刑事でも潜入捜査は未経験だっつの。それに」
「それに?」
「それに、医者じゃねぇんだ。伝染病で苦しんでる奴がいても、それがペストなのか天然痘なのか見分けがつかねぇよ。下手に薬投与して死んじまったら本末転倒だろ」
「そ、それはそうですね…。そういえば、アモレスさんのご両親はたしか内科医でしたよね?」
「ええ、まあ。でも、私も無理ですよっ。人に尊敬されたり、褒められたりするとどうしていいかわからなくなって混乱してしまうので」
「まぁ、こいつは無理だろ」デトリックスが嘲笑すると、「君に言われたくないよ」とアモレスは眉間に皺を寄せ、不快感を露わにした。
「しょ、しょうがないですね。わ、わわわわ私がやりましょう」
「しょうがねぇって、発案者なんだから当たりめぇだろ。で、症状はどう見分けんだよ?」
「だだだ大体わかっているつもりです。身体中に黒い痣ができていれば、それは黒死病、つまりペストです。また、顔や手足に赤い斑点の皮疹が現れ、水脹れができていれば、それは天然痘です。それ以外はとにかく解熱剤を投与すれば、どど、どうにかなるでしょう」
「ですね」アモレスが言った。
「盗聴糊を仕掛けてから、どどどのくらいの期間で例の鳥占いが行われるかは定かでありません。ど、どのみち長期戦になりますから、その間お2人は食料の確保をお願いしますよ」
「わかりました。では、この自動翻訳シールをテストしましょうか」アモレスはそう言うと、直径1mmほどの小さなシールをミヤウチの首元に貼り付けた。そして、
「ああ、テストテスト。シルウィアとマルスは絶対ヤッてない。ミヤウチさんもそう思いますよね?」とミヤウチに古代ギリシャ語で話しかけた。
「わ、私もそう思います」ミヤウチがラテン語で返した。
「問題なさそうですね」
この「自動翻訳シール」は、聞き取った言語を0.1秒以内に指定した言語に翻訳し、脳に伝えてくれる。また、それとは逆に自分が発した言葉を別の言語に変換し、相手に伝えることもできる。例えば、自分はフランス語を話していても、相手にはスペイン語として聞こえている。そんな具合だ。今回指定する言語は、当然、古ラテン語である。
翻訳シールのテストを終えた3人は、フリーズしたEBを再起動し、中に乗り込んだ。
「ファック!」という起動音と同時に照明がつき、船内が明るくなる。
「ナンネンダヨ ハヤクイエ」EBが訊ねた。
「紀元前753年」アモレスが答える。
「の、いつだよ」
「い、い1月でお願いします」
「ハ? ソノトシニ1ガツハネーヨ ウンコ」
「そ、そうでしたた。まだ3月からでしたね。では、3月の頭でお願いします」
「バショハ ココデイイノカ?」
「ええ、同じ場所で問題ありません」
「ジャア アレイッテ」
「またかよ」デトリックスが溜息を吐いた。
「それ、毎回言わなくてはいけないんですか?」アモレスが眉間に皺を寄せて訊ねる。
「アタリメーダロ ソウプログラムサレテンダヨ」
「し、仕方がありません。早く言っちゃいましょう。いきますよ、3、2、1….」
3人は大きく息を吸い込むと、一息に言った。
「『歴史を変え、世界を救う! 俺たちの名は、ザ・プロレタリーズ!』」
「ギャハハハハハハ!!!! クソ、クソダセェ!!!!!」
To be continued...
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