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古代ローマ、高層マンションの闇

 にわかには信じがたい話だが、約2000年前の首都ローマにはインスラ(ラテン語で「島」という意味)と呼ばれる集合住宅が密集して立ち並んでいたという。しかも、最高で7階建てのインスラもあったとのことだ。

Pinterestより参照


 古代に高層集合住宅(ようは古代のタワマン)が生まれた背景にはローマの人口増加がある。
 初代皇帝のアウグストゥス時代、面積が東京都の墨田区ほどしかない首都ローマの人口はゆうに80万人を超えていた。筆者調べによると、2023年時点の墨田区の人口が23万人だから、当時のローマの混雑具合がどれほどのものだったか、想像に難くない。おそらく、都市全体が渋谷のスクランブル交差点の感じだったのだろう(適当)。つまり、この人口密度ゆえ、インスラという高い集合住宅の建設をせざる得なかった、というのが歴史研究者の方々の見解である。
 にしても、だ。「つかさ、縦に伸ばせばいいんじゃない?」と言ってそれができてしまうところに、古代ローマの建築技術力の高さが窺い知れる。

人口が急増するにつれてインスラは階を増していった。帝政時代には6〜7階建てのインスラも珍しくなくなり、そんな建物が市内に四万六千六百二棟もあったというから、ローマを訪れた人たちはその景色を見て驚愕したはずである。

金森誠也著『一日 古代ローマ人』p71


現代のタワマンとは"逆"のインスラ

 インスラは主に1階がポピーナ飲食店タベルナ小売店といった店舗として使われ、2階以上が住居として貸し出されていたそうだ(うん、近所のファミマと同じ)。一般的に現代の高層マンションは階が上がるにつれて価格も上がっていくが、古代ローマのタワマンはそれとは逆だ。インスラの場合、2階が最も高価であり、階が上がるほど価格は下がっていった。理由はいくつもある。まず、上下水道が完備されていない。そのため、上層階の住人たちは飲み水や排泄物をアンフォラという壺に入れて運搬しなければならなかったのである。当然だが、古代に「エレベーター」は存在せず、階段は急な上に暗く、重い物を運ぶには危険だった(電気もないため、ローマ人は油を使用した照明で明かりをともしていたが、高価なのと火事の恐れがあり、上層階に住む貧困層たちは使っていなかった)。ちなみに、〈アクアリウス〉という飲み水を運んでくれる商売もあったそうだが、アクアリウスを利用できるのは2,3階に住んでいる富裕層だけで、皮肉なことに、サービスが必要な上層階の住人にはそれを支払うだけの金を持っていなかったのである。
 それから、先ほどさりげなく記載した「排泄物」の問題もあった(ここから大変低俗な話に入るため、今お食事をしながら読んでくださっている方は、一度スクロールを止め、お食事を済ませてから続きを読んでいただいた方が賢明かもしれません)。

 当たり前のことを言うが、💩や尿が溜まった壺を家の中に置いておくと、臭い。いや、臭いとか臭うな...とか、そういうレベルではないはずだ。しかも、当時の建築技術の関係でインスラは窓が少なく、換気もできない。そんな状況下であれば、💩の臭いに興奮するような極度の変態でない限り、一刻も早く💩を排除したい衝動に駆られるのは当然である。
 というわけで、上層階の人々はしょっちゅう排泄物を家の窓から捨てていたという。ローマの街を歩いていると、日常的に、頭上から💩が落ちてくるのだ。

 インスラの上層階が低価格な理由はそれだけではない。安全性の面でも、インスラの上層階は最悪である。現代にも蔓延っているが、家賃収入でがっぽがっぽ儲けようとする不動産の所有者がその原因だ(有名なのが三頭政治のクラッスス)。
 彼らは少しでも利益を上げるため、できるだけ安価な建材を使用し、できるだけ壁を薄くした(土地を有効活用するために定められた「壁の厚さは〜cm以内に収めなければならない」という法律も影響したことは否めない)。そのため、上に行けば行くほど建物の強度が弱くなり、インスラの倒壊事故は頻繁に起こった。
 さらに、先述したように1階が店舗であることから、火災が多発し、上層階の住人は逃げ遅れて丸焼きになるケースも少なくなかったという。


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