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2024.6.15:25歳、こんなものか

25歳になりました。

高校生の自分では、25歳はもう結婚している予定でした。実際は結婚どころか、まだ学生で、しかも休学していて、全てをかけて努力していたあの頃目指していた自分の理想像とはかけ離れた自分がいます。

25、なんとなく節目という感覚がありました。逃れられない正真正銘の大人。精神的にも社会的にも落ち着いていて人生の基盤ができている、そんなイメージがあったのは母がもうその歳には私を育て、弟を身ごもっていたからなのかもしれないです。

25歳は思ったより子供でした。気持ちは17歳のあの頃と変わらない。

でもやっぱりちゃんと私は大人になっていました。17の時と比べると人を許せるようになったし、自分に優しくなったし、自分の扱い方もわかってきた。楽に生きられるようになる。それは自分がもがいてきた証であり、正真正銘私の努力の結果なのです。

大人になるのは歳をとる瞬間ではなくて、ライブイベントを超えた時、と私の尊敬する人が言っていました。20年とちょっと、生きるのがずっとずっと苦しかった私は、人よりちょっとだけ乗り越えてきたものが多かったと思います。すごく苦しい人生だったけど、今も苦しくなることはたくさんあるけれど、その経験があるからこそ、絶対に折れないし立ち直れることを知っています。自分に絶対的な信頼があります。その自信が、私の価値だし明日を生き延びる御守りです。

何かが変わるはずっだった25歳は、何事ともなくやってきました。思っていたよりずっと穏やかで、質素で、これこそ私が求めていたものでした。沢山のひとたちが生まれてきたことを祝ってくれること、大切な人に抱きしめられて誕生日の朝を迎えられること、ずっと欲しかったものは気がついたら自分の周りに溢れていました。そのありがたみを噛み締められる人生で一番素敵な自分がそこにいました。

25の抱負を考えたんですけど、今は抱負みたいな向上心を持ちたい気分でないらしいです。
25年間、向上心の塊のように生きてきました。それはそれでかっこいいし素敵だと思います。でも、自分の声を無視していた。押し殺して、人から見て羨ましがられる自分を錬成していた。

同じことをしていたとして、自分の好きなこと、やりたいこと、をやっていたらいつのまにか叶っていた、向上心を持たずして、向上心を持っていた時と同じことをやり遂げられた、それくらいゆるく、穏やかに生きていきたい。自分が素敵だ、幸せだと思っている状態を素敵だと周りが感じてくれたらいいな、と思います。あくまで、自分ファースト。その姿を素敵だと思って欲しい。わがままだけどわがままで良いと思う。

17歳の思い描いていた25歳ではないけれど、私は結構今の満足しています。


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