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2024.7.12:まずは2週間

10時間以上寝た。住み込みを始めてから2週間と少しが過ぎた。


どうやらずっと体調が悪かったらしい。
身体にうまく力が入らなかったり、異常に疲れて中抜けをずっと眠ったり、思えば明らかに体調不良なのだが、すべて気疲れと精神の不調からくるものだと思い込んでいた



標高約700m、気温差10℃、身体に張り付く湿気と焼き付けるような日差し。

札幌と大分では環境も気候も違い過ぎる。

野菜や果物には名産品がある。裏を返すと、その土地に合ったものがたくましく、健やかに育つ。
南国の野菜は、北国の気候や土壌に適応できない。
だから、当たり前だが人もそう簡単に適応できるものではない。人も動物で、生き物なのだということを改めて実感した。そう思うと、少し気が和らいだ。

蝉の音が止まり、静寂が訪れる。草の群れた匂いがして雨が降りだしたことに気がつく。
瞬く間にバケツをひっくり返したような雨が降り、由布岳には暑い雲がかかり山頂は閉ざされる。


暮らすということは、自分に器を作ることなのかもしれないとぼんやり考えた。


誰かを愛おしく思ったり、何かに心を動かされたり、目の前にある幸福や感動を味わうためには、開かれた感性がいる。しっかり受け止め、染み込ませていくことで、確かな質量となる。

暮らしているとその土地に体が馴染んでくる。
そのうちに、心身がゆるやかに適応してゆき、自動化されることが増えると余白が生まれる。

この余白こそ、感受性の器であり、原点になる。

激務の狭間に書く文章は散文だろう。でも確かな道標だ。正解は、取るに足らない今を積み重ねて、振り返った時に初めてわかるものだ。


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