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忘れ草

正解は振り返った時に初めて分かるものらしい。
そして、どうやら私は3年間付き合った末別れた人を忘れられず生きてきたらしい。
別れて3年、付き合った分と同じ分の時間が過ぎた今なら書ける気がする。

高3から大学2年まで付き合った彼は、付き合っていた3年のあいだの私のすべてだった。
お互いがお互いのことを片割れだと信じてたし、運命があるならこれがそうなのだと本気で思っていた。今の自分から見るとあまりに脆く、若く、純粋で直視することが出来ない。それくらいとにかく好きで、大切で仕方がなかった。

何事も度を超すと害になる。いつからか愛情と依存の境目がわからなくなり息が吸えなくなった。必要だったのは向き合うことだったのに、私はそこから逃げることを選んだ。大人のふりをした子供だった。

あんなに大事にしていたのに、私のすべてだと思っていたのに、実際に訪れた失恋は、思っていたより痛くなかった。毎晩ちゃんと寝れたし、バイトも大学も全部出席した。ご飯はちゃんとおいしかったし、友達の冗談もちゃんと面白いと思えた。そんな私をみて周りは無理をしているのではないかと心配していたけど、本当に大丈夫だった。当時書いたnoteもそんな感じなことを書いている気がする。

その後、私はまた恋をして、何人かの人と付き合うことになる。運命だと思っていた恋を終わらせても人は恋をするのだな、と人の図太さに感心したのを覚えている。ただ、彼と別れた後の恋には、熱量が足りなかった。
どうやら別れたあの時、私は自分を守るために人に渡す感情の絶対量を減らしたらしい。本当はあったはずの痛みを見ないふりをした代償として、人を本気で想う心を失った。自分の黒く煮詰まった部分を見せることをやめた。そうして得た関係は、幸福なはずなのになぜかさみしかった。

それに気が付いたのは、今の彼氏に出会ったからだ。
あの時とおんなじ感覚で恋に落ちた。小走りでたどる帰り道で彼のことが頭から離れなくなった時、私はとても怖かった。
懲りずにまた同じことを繰り返すのか。見ることが出来なかった痛みを直視することになるのかもしれない。21歳の時よりずっと弾力を失った今の私はその痛みに耐えることが出来るだろうか。
ただわくわくする自分がいた。そっか、本気で好きになった人に自分を否定されることは怖いものだったよな。それでも一緒にいる未来を望むこの欲、人間に存在するありとあらゆる感情を煮詰めたこの感覚こそが恋だったよな。彼と別れて、初めてちゃんと恋をしたのだと思う。本当の意味で未練を断ち切った瞬間だった。もう一回だけ頑張りたいと思った。そう思った日の夕焼けはお世辞にもきれいとは言えなかったけど、それこそが恋なのだと思った。

冒頭にも書いたが、正解は振り返った時に初めて分かるものだ。この恋だって振り返ってみたらほかの恋と同じで、あの時の恋を超えないかもしれない。でもそれは後になって初めてわかるものだ。
だからこそ、目の前にある感情を信じて全力を注ぎたい。振り返った時に後悔だけはしないために。ずっとを保証するほど自信はないけど、今この瞬間、この人がいる生活がずっと続けばいいと思っているがあればいいと思っていることは保証できる。

あの時の恋を忘れられずにいたけど、それは彼に対しての未練ではなく、あの時大切なものから逃げて自分を守ることをえらんだことに対する怒りや軽蔑だ。だから、今度はそんなことはしない。次ダメになった時はご飯の味がわからないくらい、大学休んじゃうくらい、よくある恋愛ソングに泣いちゃうくらい、もう二度と恋なんてできないって言っちゃうくらい全力で恋しよう。

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