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遅すぎる気付き

とうとう独身のまま48歳になってしまいました。


初投稿、なんと悲惨な書き出しだろうと我ながら哀しくなります。

私の投稿はそんな内容ばかりだと思いますが、恥ずかしくて誰にも話せない本音をここへ書こうと思っていますので、お付き合いいただければ幸いです。

私の職業は「ピアノ講師」。
そう書くと随分と立派なように思われるかもしれませんが、このご時世でピアノを習う人は大変貴重な存在でして、細々と、本当に細々とやっているだけで月の収入を聞けば皆さん驚かれると思います。

どの位かと聞かれれば、確定申告で税理士さんに「いったいどうやって生活してるんですか!?」と驚かれたくらい、もしくはアフリカの貧困地帯の平均月収と同じくらいと想像していただければと思います。

「ハイパーハードボイルドグルメレポート」アフリカのスラム街の回を見ていた時の驚きと絶望は言葉にできません。

何故そんなに少ない収入で生活出来ているかと聞かれれば、ひとえに両親のお陰なのです。
冒頭でも書いた通り、48歳独身の娘を家に置いて下さっている(敬語でしか語れない)という、国から何らかの表彰をうけてもいいんじゃないか?というレベルですよ。

ピアノの講師になるというのは企業に勤めるのと違い、毎月の収入は安定せず、ボーナスというものも無く、生徒数がゼロになれば収入もゼロで、もちろんどこからも補助などもらえない。私には関係ない話ですが、産休をとられる先生方は産休の間収入ゼロだそうです。
こんな私でも憧れてくれて「将来はピアノの先生になりたい」と言ってくれる生徒もいましたが、全力で制止しましたから。

ピアノの仕事を初めて数年で、安定した職業に就いている男性と結婚するものだと私も両親も思っておりました。

でも、気付けば48歳。
こんなはずじゃなかった。


話は急に2020年の初夏に戻りますが、その頃は世間がコロナ禍でピアノも休講にしていたので部屋の片付けをしておりました。嫁にも行かないので引っ越しもせず長い間放置されている部屋の地層。
そこに、18歳~20歳くらいにやり取りした友人達との手紙がたくさん発掘されました。
面白いもので、相手の返信から私が書いたであろう内容が読み取れるものですね。
バカです、バカ。
当時好きだった男性に私がどのようにアプローチしていたか等、みるみる記憶がよみがえり、二十歳くらいなのにまるで小学生な自分に呆れ果てました。
やり取りしていた友人達はしっかりと大人に成長し、次々と結婚していきました。

最も衝撃だったのは、「両親がピアノの講師になることを反対していたのに私はそれを押しきって無理矢理ピアノの講師になった」という事実。
しかもその事をすっかり忘れていた私!
表彰ものの両親は私の将来のことを心配し、きちんと説明して安定した企業に就くようすすめてくれていたのです。
因みに、その時にやり取りしていた友人はご両親の話をきちんと受け入れ銀行員という素晴らしい職に就いておりました。


もしもタイムマシンがあったなら・・・もうその後は皆さんのご想像通りでございます。


今の私がこんな風になってしまったのは、全て私の責任。
結婚出来なかったのも、安定した職業に就いていないのも、馬鹿だった私の責任。

人生も半世紀を目前にして気付いてしまった私。

さて、これからどうするか。

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