クレール・ドゥニ「ハイ・ライフ」

2019.06.25
気持ちよく晴れていた昼とはうってかわって、
雨のにおいが掠める夜に、
ずっと楽しみにしていたクレール・ドゥニ監督の映画 「ハイ・ライフ」 を観た。

ポスターのコピーやレビューでは「欲望」だとか「官能」だとかの言葉が強く出ていたから、勝手に谷崎潤一郎の作品と同種のように感じていたけれど、実際に観たあとの第一印象は三島由紀夫だった。
途方もなく美しく頑固で難解な作品。

上映時間113分の間ずっと満たされている閉塞感は観客すらも息苦しくさせる。
実際、上映時間150分超えのどんな映画よりも長く感じた。
説明の少ない哲学的な余韻は少しグザヴィエ・ドランの「トム・アット・ザ・ファーム」を思い出した。

物語の舞台は近未来―太陽系をはるかに超え、漆黒の宇宙に突き進む一隻の宇宙船「7」。その乗組員であるモンテ(ロバート・パティンソン)や、ボイジー(ミア・ゴス)など、9人のクルー全員が実は死刑や終身刑を告げられた重犯罪者たち。彼らは、美しき科学者・ディブス医師(ジュリエット・ビノシュ)による、ある実験に参加することで重い刑罰を免除されるが、それは地球へ帰る保証のない旅だった。彼らの行き着く先は一体?———公式サイトより

過去と現在が入り混じるストーリーに頭が混乱してしまって観終わったあとにひどく疲れたけれど、あの宇宙船の閉ざされた孤独な生活に残されたのが「父と娘」だったことはわずかながらの救いであったと思う。
残されたのが「母と娘」であれば早々に破綻を迎えていただろう。
わたしはそれぐらい「母と娘」の関係は複雑だと思っている。
ロバート・パティンソン演じるモンテが父性に目ざめていく過程がとても色気があって、個人的には新しいバットマンに期待していいのかなとも思ったり。
(ちょっと若すぎる印象があったけど、あれだけの哀愁が表現できたら充分)

そしてどこを切り取っても宗教画のように美しいカットたち、
宇宙船という、究極の文明の箱舟のなかで展開するデカダンス。
美しすぎるセットも立役者だった。
ワンカットごとの引きの強さは2001年宇宙の旅以来の興奮。

正直、ストーリーやSFの設定に詰めの甘さはある。
ただ、ドゥニにとってこの映画における宇宙はただのギミックでしかなく、むしろドゥニの曼荼羅を映画として突きつけられるだけなのだ。

繰り返し見て大切にしたい映画ではないけれど、強烈な印象を残して、ふとした瞬間にシーンがフラッシュバックするような映画だった。
その日の帰り道の、肌に張り付く湿気と似に不快感とともに。

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