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信号機に照らされた桜

2年で教員を辞めた。
なんら特別なことではない。よくある話だ。

結局、何かになりたいと思い続けていた僕が選んだ道は安定を捨てることだっただけだ。

何かを捨てないと成功できないとよく言うが、果たして本当にそうなのだろうか。
全てを拾い切って成功している人も沢山いるような気もしていた。

教員から無職に変わる瞬間は、同じ年に同じ学校に配属された同期と一緒にいた。
3月31日の23時59分、他愛もない話をしていると、いつのまにか僕は無職になった。


桜を見るなら昼より夜の方がいいと僕が呟くと、そうかもしれないと同期は言った。

しばらく桜並木の上り坂を歩くと、青信号に照らされた夜桜を見つけた。
本来、意図されていない光景に、これはインスタグラムチャンスだと彼女は笑った。

やけに青信号が長かった気がする。写真を撮る同期に、背中を押されたような気がする。


「僕は本当に教員になりたかったのだろうか。」と考えたことはない。別にやりたくてやったものじゃないと初めからわかっていたからだ。

教育実習に行く時の大学のガイダンスではたとえ教員になりたいと思ってなくても、「教員を目指していると言いなさい。」と言われた。その通りにした。それは社会に出ても同じだった。

意図していないことを言ったり、演じたりしているしょうがない2年間だったような気もする。
中にはそんなダサい自分に言い聞かせるように子どもと接したような気もする。
真っ直ぐにやりたいことをやれと言えない自分がもどかしかった。
自分には魅力がない。偶然でもいいから、なんとか教員らしく見えるような光を当ててくれと心からそう思っていた。

同期はとにかく出来る人で、謙虚でまっすぐで美しい心の持ち主だ。勝てるわけがなかった。悔しい思いもたくさんした。やりたいことを仕事にして、熱心に取り組む彼女はきっととんでもない教員になる。それだけは、2年しかやっていない未熟な自分でも分かる。

同期は自分から輝き、そこにたくさんの人が集まる昼の桜なのに対し、僕は意図していない光に照らされた青い夜桜だった。


本来の美しさには勝てないと悟り、自分も昼の桜になりたいと思ってしまった。
自分のやりたいことにしっかりと向き合うこと。これ以上に簡単で難しいことはない。しかし、昼の桜の開花条件なのである。
やっぱり、意図していない光は、捨てなければいけなかったのである。


桜並木の下り坂。赤い夜桜のことを見て見ぬふりをした無職の僕は、少しだけ歩みを早め、同期と別れの挨拶をした。

次は、昼の桜に自分を重ねられるようになっていたいと思った。


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