僕の卒業論文

明日から僕は社会人になると思うと、とても感慨深い。

大学生は人生の夏休みとはよく言ったもので、その通りだと思った。

夏休みってのは、遊ぶと決めて、とにかく後先考えずに遊ぶ人もいれば、計画的に宿題をやっていく人もいる。もちろん最終日が近づくにつれて、大急ぎで宿題を終わらす人もいる。

僕の人生の夏休みは、突然やってきたように思う。つまりはこの夏休みを『楽しもう!』と思って終業式を迎えておらず、特に何も考えずに、ぬるっと迎えた。

いや、きっとみんなそうだ。夏休みですよって予告されたわけでもない。途中で気がついたのだ。1年生の時はできるだけ早く家に帰りたいとか思っていた。そんな僕が、3年たつと夜の大学の駐車場からサークルの大人数を率いてドライブに行くなんて思いもしなかった。

僕の夏休みは、サークルに始まり、サークルに終わったように思う。楽しみも悩みもサークルで詰まっていた。というか、悩んでいたことばっかりだったけれど。


最初は、やっぱりサークルの人たちをどこか見下していたように思う。一生懸命企画している人を見て、面白くないなとかすべっているなと。俺ならもっとできるなとか。根拠のない自信で、できもしない理想を描いていた。

でもすぐに気が付く。自分には、才能なんてなくて、やりたいこととできることには差があるなということ。わかっていてもやってしまうから難しいんだけど。

だから、自分が楽しいと思うことができないことにずっとイライラしていた。



少し、そんな自分に嫌気がさして、仕事を何もせずに自分たちの代の企画に参加したことがある。ルールも何も知らないゲームを自分たちの代が運営している。気軽に見ていたが、少しルールに不備があったみたいだ。

真剣にルールについて考える人。何も知らないからと言って適当に遊んでいる人。はたまたルールを作ってくれた人を非難する人。仕切ることが難しくなって泣いてしまう人。ルールについて穴を指摘する人。それをなだめる人。

サークルっていろいろな人がいるなと感じた出来事だった。僕も急遽自分の役割をこなしたが、不意に考えが変わったときであった。

後輩の存在である。その状況を不安そうに見ていた後輩には、申し訳ないと感じた。


ずっと自分が”何をするか。何ができるか。”という主観でしか物事を見ることができなかった僕は、とても視野が狭かったと思う。自分が楽しいほうに行こう、楽しくない方にはいかないでおこうと考え続けていた。目の前のものを楽しもう!みんなを楽しませよう!とは考えてはいなかった。そんな自分が情けなかった。

自分がみんなを楽しませようとすること。これ以上に大変だけれど大事なことはないように思えた。きっと実現することができなくても取り組むこと。それが理想の先輩だと思う。

やっぱり環境というのは大事で、みんなが同じ方向を向いていないとどうやっても難しい。せっかく同じ集団に入ったならば、同じ方向を向けて歩みを進めるはずだと思う。

それと同時に、後輩のやっていることや失敗にとやかく言うのはダサいと思った。自分たちも経験した事だからこそ、頑張っているのを助けたり、温かく見守るということをしていこうと思った。


きっとこの経験は、これからの仕事に活きると信じている。本当にお世話になりました。



人生の夏休みでは、近所の子と遊ぶ感覚ではいけないのかもしれない。誰かがいて、みんなが楽しいと思う空間を作り出すのは、大変だけれど実現させることが、サークルでの宿題かもしれなかった。

宿題に気が付いたけれど、できた気もしない。だから僕はこの宿題を後輩たちが苦労しながらもこなしていくと信じている。めちゃくちゃ難しいけれど、少し期待している。


もうすぐ僕の長い長い人生の2学期が始まる。

本当の夏休み明けのように見慣れたやつも、急に日焼けしたやつも、信じられないくらい背が伸びたやつもいないけれど、それぞれどこかで2学期を迎えているだろう。

忘れられない、忘れたくない夏休みだった。


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