一台の中古車
大学2年生の僕は、一台の中古車を買った。
特に乗りたい車とかも無く、型も新しくなくていいし、色も別にこだわりもない。できれば普通車で、みたいな。
車がないと遊びに行けないと思ったので、成人祝いのお金を頭金に、毎月1万円ずつ払うローンを組んで、中古車を買った。
おじいちゃんが車関係の仕事をしていたので、乗って僕に引き渡しに来てくれた。
「最初だからガソリン満タンにしに行こうか」
初日におじいちゃんに入れてもらったガソリンで、どこを走ったのかはあまり覚えていない。
なぜあんなに車にハマる人がいるのかわからないという人もいる。僕がそうだ。カスタムとかしたり、自分の車にこだわりを持ったりとか、しなかった。乗れれば、それでよかったのだ。
今日、僕の車は廃車になった。
東京に引っ越した僕は、自分の車を東京に持って行くことはせず、6年間乗った僕の車はもうガタが来ているそうで、そのまま廃車の流れになった。
引き渡しはお父さんにやってもらう予定で、わざわざ実家に帰ることをせずに終えるつもりだったが、まさかの車の鍵を自分が東京に持って行ってしまっていることに気がついて、せっかくだからと夜行バスで戻ってきた。
そこまで思い入れがあったわけでもないし、まぁ片付けくらい自分でやるかとそれくらいの気持ちだった。
「最後くらいちょっと運転してドラッグストアでも行ってみるかな」
いつものようにエンジンをかける。直前までお父さんが乗っていたので、アクセルまでの距離がある椅子を少しだけ前に出し、シートベルトを閉めた。
カチッという音は、初めて乗った時より大きくなったエンジン音の中でも確かに聞こえた。
そういえば、助手席に乗った人のシートベルトを待つ時間を取るようにしてたなぁ。その間に音楽何にしようか迷ったこともあったね。
あ、大学の最後らへんさ、毎週のように山道登ったよね、あれのせいで今、ガタが来てると思ってるんだよ。ごめんな。
初めて彼女を乗せたりさ、友達とバカ騒ぎしながら高速走ったりさ、なんなら真剣な話も、エンジンかけっぱなしにして長い時間話したよな。車の中ってなんか本音が言える気がするんだよ。
あとあれだよ。M-1の結果発表。車の中で結果を見て、受かってないことがわかった瞬間にお前バッテリー上がって今池から出れなくなったんだよ。あれやめてくれよ、おかげで俺のM-1のショック少し薄れたよ。
最後の運転でドラッグストアに着いた。
店内をどれだけ歩いても、買いたいものが見つからない。もしかしたら俺は見つけたくなかったのかもしれない。車の鍵を東京に持って行ってしまっていたことは、最後に僕が起こしたファインプレーだったみたいだ。
業者の人が、レッカー車を家の前につけて、印鑑を3カ所に押したら、僕の”愛車”は機械的に運ばれて行った。
普通の人は、だいたい車を買い替える時に運ばれていくのを見るのだろう。
僕は、車を買う予定はない。もしかしたら、これから先一生、車を買わないかもしれない。
いつでもそばにあると思っているものほど、機械的に運ばれて行ってしまうのではないか。そして、あまりにも簡単に離れて行ってしまうので、また違うもので埋め合わせするのではないか。
最後の最後に僕は、初めて自分の”愛車”にありがとうと言った。
車が好きな人は、何も車種やエンジンそのものが好きなのではないのかもしれない。メーカーやデザインが好きなのもあると思うが、それだけではなくて”自分が乗っている車”が好きなのではないか。たくさんの思い出を好きになっているのではないか。
少しだけ車が好きな人の気持ちがわかった気がした。
自分の“愛車”が運ばれていく背中を見ながら、僕は涙を拭いた。
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