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なりたい自分、たりない自分。


あんな人になりたいな。と思うことは、人間誰しもがあることだと思う。

イチローだったり、北島康介だったり、高杉晋作だったり、松本人志だったり、、、

すごく成功を収めている人が例にあがるが、もっと身の回りにでもいるはずだ。友達のあの人とか、お母さんとか。

斯くいう僕も土曜日のイオンのフードコートで見つけた。



僕はハンカチを持っていない。このご時世、直すべき性格だけれど、22年間一回も持ったことがない。だから、常に手を洗った後は手についた水をその場で切る。指を折り曲げて3〜5回ピッピッとして。ハンカチを持てば解決なくせに、結構水を切らないと気が済まないよくわからない性格だ。


フードコートで席を見つけて、手を洗いに行く。

前に人が並んでいる。

ガタイのいいお兄さん。ハンカチはもってなさそう。案の定、彼は手を洗ってもハンカチを出す素振りはない。彼も俺と同じ、手の水をそのまま切るタイプの人間だと思ったが、僕とは少し種類が違った。

彼は一回だけ。胸のあたりから両手をそのまま振り下ろすだけ。それだけで、その場を去った。

「かっこいい…。」

彼の方を見ると、一心不乱に蕎麦を啜っている。

あんな人間になりたかったと思った瞬間だ。


別に僕は、水を一回切ること、その行為自体に憧れたというわけではない。(かっこいいとは思ったけれど)水を一回切っただけでご飯を食べられる、そのメンタリティに憧れた。


僕は人にとやかく言われることにとても弱い。そのことはもう自覚どころか、その自分を客観的に見ていられるくらいには、ずーっと付き纏っているものだ。

本当は、インスタグラムに風景を載せていきたい。オシャレインスタグラマーになりたいが、他の人に、「いや、お前どこ目指してるの?」とか言われるのが怖い。

「自分がそうしたいと思ってるから別に良くないすか?」という台詞が言える日はきっと来ない。

本当は、トランプマジックでディズニーのチケットを出す演出とかしたいけれど、「いやダサくね?」とか笑われるのが怖い。

「え?なんかロマンチックでよくないすか?」という台詞が言える日は到底来ない。


別に手の水をしっかり切らなくても、他の人には関係ない。橋を持つ手が濡れていようがご飯は味にも問題なく食べられる。でも。

「いやお前、手がまだ濡れてるじゃん!」

「いや、別にお前には関係ないやん。」

という会話はできない。だから、凄い勢いで僕は手の水を切っていた。自分にしか関係ないことにも、とやかく言われるのが嫌だから。


しかし、彼を見てしまった僕は変わる時が来たと確信した。僕もついに一回で水を切る時が来たのだ。

胸のあたりから両手を揃えて下に振り下ろす。普段なら指も使ってしっかりと水を落とす。しかし、今日は。一回で終わろう。

自分の席に向かう。まるで気分は勇者の帰還だ。周りの家族連れが僕を羨望の目で見ている気がする。

席に着く。いつもとは違う自分。心なしか僕が、いや、勇者が。他人の声など気にしない一歩を踏み出した勇者が今から食する料理たちも嬉しそうだ。

僕はまだ濡れている手でそっとポテトを口に運ぶ。

マクドナルドのポテトを。



ポテトは僕にこう囁く。

「ポテトは濡れた手だったら影響出るやろ。」



日曜日の僕は、ハンカチを買った。






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