閻連科「炸裂志」:「マジックリアリズム」という形容がぴったり【読んでみました中国本】

我われ外国人にとって、中国にどれだけ長く暮らしても農村は謎の多いところである。ただ、わかっているのは、農村で起き、都会に伝えられる話題の多くが、良くも悪くも「リソース」と「チャンス」の少なさによるものだということだ。

よく知られている話を例に上げるなら、たとえば出稼ぎ。中国の農村部は長い間、変化が乏しく、収入手段も生活習慣も変化に取り残されてきた。一方で変化は都会に降りそそぐ。そんな変化を目にした人たちが変化のない農村とは違う環境に置かれた場所でお金を稼ぎたいと思うようになったのは自然なことだ。

さらには待機児童。親たちが年中、都会で働いて過ごすようになると、中国の政策で都会での就学の「チャンス」を阻まれた子どもたちが、農村の親戚に預けられる。そうやって長年親と離れ離れになったまま、そして時には親が都会で離婚、再婚し、そのまんま放って置かれてしまう子どもたちの存在と未来が今、社会問題化している。

ブランド偽物問題。ある商品がある特徴により高額で売れると知り、農村がまるごと偽物生産基地になる。団結した村人どうしで、それぞれパーツを作ったり買い付けたりし、さらに材料をなめす家庭、縫製する家庭などと役割分担して「製品」を作り上げて、市場に送り込む。取り締まりが厳しくなってからは村の入り口に見張りが立ち、見慣れない人間を村に入れないという自衛策まで取られているという話も聞く。その熱意とパワーは想像するだにすごい。

日本でも時々問題になる、いわゆる「毒野菜」問題も、農耕に関わる農民が意図的に「毒肥料」を撒いていると思われがちだが、それは大きな間違いだ。彼らが使うタネや苗、そして肥料や防虫剤などその他関連用品は多くの場合、彼らが意図的に買い求めるのではなく、村や共同体で共同購入一括供給されていることがずっと多い。そこに外から来た商品売り込みがつけ込む。どんなふうに農作物の生育に役に立ち、増収をもたらすのかといった美辞麗句を並べ、人々の購買意欲を刺激するのである。あるいは袖の下を使ってバイヤーを丸め込む。実際に農地に立つ作付者たちの多くはもたらされる宣伝文句を検証する手段を持たない。彼らは信じて受け入れるチャンスしか与えられていないのだ。

情報の不足、手段の不足、モノの不足、チャンスの不足…

だが一方で、それらの不足が人々を貪欲にさせ、求める気持ちを強くし、モチベーションとなる。20世紀最後の中国が世界で最も貪欲な国になり、ブラックボックスのように世界中の欲求をすべて呑み込み、今や世界2位の経済大国になった背景には、こうした不足を乗り越えたいとする人たちの思いがあったからだ。

しかし、そうやってうわばみのようにすべてを呑み込んだ欲望は、いったいどうやって消化されていくのか…

●農村の変転の記録を依頼された大学教授は…

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