【読んでみましたアジア本】マーケティングの心得から読み解くアジアも乙なもの:川端基夫『消費大陸アジア: 巨大市場を読みとく』

「アジア」は日本にとってなにを意味するのか――「アジア本」を読もうと決めたときに一番に気になっていたことだった。

「アジアの人たちの純真な心」――ずっと前にツイッターでもらったリプライにあったこの言葉は忘れられない。アジアの人はすべからく純真なのか。もちろん、そんなことはないはずで、確かこれに対してかなりがつーん、という返事を返した記憶がある(が、具体的になにを書いたかは忘れた)。ただ、こうした物言いは昭和の時代に「アジア、アジア」と言い出した人たちの間でわりと共有されていると感じている。

わたしが香港に移り住んだ後にバブルが弾けた後香港にやってきた人に、「日本は最近は景気が悪くなってね。ぼくたちも貧乏で…」と言われ、めまいを覚えたこともあった。どんなに「貧乏」でもあなた、こうやって旅行して高級ホテルでお茶できるじゃん、と。

言葉は恣意的に使えばどんなふうにも使えるものなのだ。

実のところ、バブル崩壊後の日本でアジアに対する見方がいかに変わったのか、わたしはよくわからない。当時わたしは「目が注がれる』側の「アジア」にいたのでその変遷を体験しておらず、またそれを体験したいという気持ちも持ち合わせていなかった(もちろん、ここでの「アジア」からは日本は除かれている)。

まぁ、バブル後期の海外「キャリア就職」ブームで一盛りあり、香港返還でまたちょっと熱くなり、その後タイで発生した金融危機で香港を含めた東南アジアの景気が悪くなった頃から、日本では次第に台湾の人気が高まったようだ。ちょうど、民進党の陳水扁氏が国民党候補を破って台湾総統に就任した頃だった。日本人の台湾通は民進党びいきが多いからなのかどうかはわからないが、その後台湾の好感度は上がり続けている。

一方で今わたしが暮らす福岡は、この期期に韓国との関係を深めたようだ。距離的に近いこともあり、日常的な観光客の往来も頻繁で、韓国の存在はすでに違和感ないほど普通になっている。インバウンドといえばまず韓国人観光客が脳裏に浮かぶ、それはたぶん台湾を含めた中華系の観光客以上の存在感を持っている。

ただ、それ以上に香港から向こうの「アジア」、つまり「東南アジア」は相も変わらず「遠い」。もちろん、飛行機は飛び交っているし、観光客もご多分に漏れず増えている。だが、日本人側の距離感として中華圏ほどの関心の伸びはないように感じる。

それが、わたしを焦らせる。亜熱帯の地に立ってみると、それぞれの国で沸点があり、さまざまな動きが起こっている。マレーシアでは昨年独立以来初めての政権交代が起こったし、フィリピンで政権に徹底的に抵抗するジャーナリストが米「TIME」の「People of the Year」(今年の人)にも選ばれている。先日、再選されたインドのモディ首相の陣営はSNSを最大限に活用して政敵に不利なフェイクニュースを撒き散らしており、一つの注目に値する「SNSの利害」のモデルケースになっている。バングラデシュに流れ込んだミャンマーのロヒンギャ難民の状況はまだまったく改善されていないというのに、日本語のニュースには流れなくなった。

それは今この瞬間にも続いている現地の現象なのに、我われの手元には何一つ続報が流れてこない。さらに、こちらが積極的になってこうした事情について理解を深めようと書店に足を運んでも、これらについてわかりやすく説明された本は一冊も出版されていないのである。

一方で日本のメディアに流れる「アジア」とは、ほとんどがカネ儲けの対象である。彼らの昨今の所得はいくらになった、日本のどこどこの企業が現地に進出した、インバウンド客としてどこからどれくらい人が来る…などなど、カネが続く限りはそうした情報は続くのだろうが、実のところ、ほとんどの日本人にとってあまり興味をそそられる情報ではない。

そこから得られる「アジア」像とはいったいなんなのか、どんなものなのか。

●「市場」としてのアジアとはどういうところなのか

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