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【ぶんぶくちゃいな】『時代の行動者たち』刊行:2019年デモ、香港市民はなぜ、そしてどのように支えたのか

日々、香港のニュースに目をやるごとにやるせなさばかりが先に立つ。

先日も、学齢期の子どもの4人に1人が過去1年間に精神障害による疾患を抱えているという調査報告に激震した。子どもの自殺もここ数年極端に増えており、それはもちろん、直接は彼らの悩みを解決するための手段がないことから来る絶望感によるものなのだが、学校も友だちも家族も、あるいはもっと身近な親戚たちにも相談相手がいないか、あるいは真剣に聞いてもらえないという疎外感をこれほど多くの子どもたちが抱えていることにとにかく驚くばかりだ。

総面積が東京都ほどもない香港では、かつて人と人との関係が密だった。子どものそばに誰かがいて、仕事で忙しい両親に代わって親戚が自分の子どもと一緒に面倒を見てくれるケースもよくあった。だいたい、祖父母を囲んで誕生会だの、お祝いごとなどと父母の兄弟姉妹とその家族が集まるのが習慣になっており、大人たちも親戚の子どもと遠慮なく付き合える環境があった。また、子どもたち自身もその成長過程でできた友だちとは、小学校から中学校、高校(多くの場合、中高一貫校である場合が多いが)、さらには大学へと進んでも、付き合い続けることが可能だった。そのほとんどが、狭い香港の中で暮らしていたからだ。

しかし、ここ10年ほどの社会の混乱が、そうやって香港が時間をかけて培ってきた人間の関係を大きく変えた。政治や立場の違いから、古い友人との付き合いが絶たれてしまったり、親戚や家族の中でもお互いを許せないほどの亀裂が走った。また、政治的にすでに身動きが取れなくなってしまった香港から、雪崩を打って海外へと移民する人たちの波、波、波……親しかった友人を移民で失い、殺伐とした社会のムードの中で頼るべき大人を見つけられず、誰に相談して良いのかもわからないまま、子どもたちの心はバランスを失いやすくなってしまった。

冒頭の結果を公表した調査を行った諮問委員会の新委員長に就任した小児科医も、この問題を「医療面の課題」と捉えるべきではないと述べ、「子どもたちの防衛線は医師ではなく、彼らの教師、学友、家族、友人、あるいはソーシャルメディア上で知り合った友人だ」と社会的な対応を呼びかけている。

それでもその小児科医も、なぜ子どもたちがそこに至ったか、については触れていない。もしそれが医療面での問題ではなく、これほど広範囲に子どもたちを悩ませている社会的な問題によって引き起こされているのであれば、その問題解決への取り組みこそが急務であろう。だが、いま起きているこの問題に向き合わざるを得ない医師ですら、その「社会的問題」の根本については語らない。

そうなのだ、いまは大人たちですらその重要な起因について言葉にして語り、それを不安解消につなげて香港社会にどっしりとのしかかる「問題」を取り除くことができないでいる。そんな社会において、まだか弱い精神を持つ子どもたちにしわ寄せが起こっているのである。つまり、子どもたちが抱える心理的不安はそのまま香港が抱える「最大の問題」であるといえる。


●デモを支えた多くの市民の行動とは

ならば、香港の人々を苦しめつつも口にできない問題とはいかにして起こったのか。

12月14日に白水社から刊行される『時代の行動者たち 香港デモ2019』(以下、『時代の行動者たち』)は、誰もがその重苦しい問題の「起因」だと知りながら、今やすでに公然と口にすることができない当時の思いを広く集めた一冊である。

日本で暮らす日本人のほとんどには当時、どれほど香港の事態や起こっていることに関心を寄せていたとしても、それはデモという「マクロ」としてしか記憶されていない。大型のデモや激しい抗議活動が続いた半年余りの間にはそれこそさまざまな事件が起き、そのたびごとに香港市民は、デモに賛成の立場であろうと反対の立場であろうと、その心は大きく揺さぶられ続けた。そして、そのことがまた新たに人々を突き動かす動力となった。そのような過程を人々はどんな思いで過ごしたのか。そのことをどんなに一所懸命に情報を追っていても、日本人が感じ取るのは本当に難しいことだった。

例えば、7月21日に地下鉄元朗駅で起きた白シャツ軍団による一般市民襲撃事件は、香港人の間では今や「721」と3つの数字を使って、まるで暗号のように呼ばれている。当時はこうした「数字事件」が数多く出現し、それを口にするごとにいまだに香港人は当時自分が受けた衝撃と感情をつぶさに思い出す。その一つ一つの事件の衝撃を、覚えている日本人はほとんどいないだろう。香港市民はミクロな視点でそれらを通じてデモを体感し、思いを心に焼き付けたのだ。

さまざまな立場からそのミクロの視点をかき集めて2021年に刊行された『時代の行動者たち』は、デモから2年後の香港社会に大きな共鳴を巻き起こした。

正直、「数字事件」の多くをその数字とともに思い出せる筆者も、当然ながらその理解は香港市民の心のひだに焼きつけられた記憶には遠く及ばなかった。そんな筆者にとって、本書に集められた多くの「一市民」の証言はかなり生々しいものだった。

一例をご紹介しよう。

本書の第5章は過激化し始めたデモの最前線に立つ若者を支援しようと立ち上がった人たちに焦点を当てている。そのうち、たぶん日本のメディアでもほとんど紹介されていないものの、デモに大きな存在感をもたらしていたのが、「オペレーター姐さん」(原文は「台姐」)と呼ばれる人物の存在である。

この「オペレーター姐さん」とは、デモに参加する若者たち(デモ参加者は「若者」に限らないが、抗議活動が暴力化してからはその前線に立ったのはやはり「若者」が多かった)を、デモ現場からずっと離れた、あるいは若者たちの自宅に近い場所へと送り届ける車輌を手配する人物だ。もちろん、こうした車輌についても日本ではほとんど報道されていないので疑問に思うだろう。つまり、こういうことである。

警察との衝突がほぼ日常茶飯事になった頃から、警察はマスクやゴーグルなどの「ギア」と呼ばれるデモ道具を入れたリュックを背負った、黒尽くめの若者たちをターゲットにし始め、デモに参加した後帰宅する若者たちはあちこちで警戒にあたる警官に職務質問されたり、有無をいわさず拘束されるようになった。あるいは本書の「オペレーター姐さん」がそれを始めるきっかけになったように、お金がなくて高額な夜間交通の代金を払えないなどの理由で街で宵越しする若者を救おうと、マイカーを持つ人たちが彼らの「足」を買って出た。

実際に筆者の友人にも、そんなドライバーをしていた女性がいる。まだ30代だが、デモには共感するものの、さすがに警察と対峙するような行動は取れない。そんな彼らが運転手役を買って出て、行き先やデモ現場(デモ後半には、同時に複数の地域で抗議活動が起きたり、あるいは大規模化した抗議活動では当事者がいる場所を特定する必要があった)ごとに情報を集め、まるでタクシーの無線手配センターの「配車命令」を受けて指定の場所に向かい、指定の人物たちを載せて、目的地まで送り届けるというサービスを展開したのである。

その無線手配センターで車と場所と人物を結びつける「手配師」の役を演じたのが、オペレーター姐さんだった。

●職務と責務、「プロ」たちそれぞれの関わり方

この配車システムを知ると、過激化する抗議活動を市民がいかに支えていたかが如実に見えてくる。テレビで、あるいはユーチューブのニュース映像で衝突して煙を上げるデモ現場だけを見ていても、決してわからない香港社会の「デモの形」といえる。

前述の友人の他にも、筆者が耳にしたところによると、あるテレビ局の某チャンネル関係者はほぼこのドライバー役を担っていた。テレビ局で働く人はその行動範囲の広さや時間の問題もあってマイカーを持つ人が多い。デモ期間中、その人たちの間では普通に「おい、出動するぞ」「〇〇方面で車がいるらしい」と、まるで雑談をするように、あるいは仕事の引き継ぎでもするように、配車情報が口頭で交換されていたという。

人々は路上でシュプレヒコールを叫ばなくとも、こういう形で抗議活動に「参加」していたのだった。

つまり、この事実によって明らかなように2019年の香港デモは、火炎瓶や催涙弾が飛び交う路上での衝突だけが「舞台」ではなかった。車を持つ人たちは配車手配に従ってデモ現場の裏道に詰めかけ、目的の若者たちを車に乗せると、その黒装束を普通のTシャツやジーンズに着替えさせた。そうして、彼らをその自宅そばまで無事に送り届けるという任務を遂行したのである。この「オペレーター姐さん」の項を読むだけで、どれほどあのデモが香港社会に深く根を張っていたのかがよく分かるはずだ。

また、第4章の「専門資格者」では、医師、ソーシャルワーカー、そして中学校の校長が証言する。

デモ隊の中には、救急医療ボランティアチームがいたことをご存知だろうか? 彼らは大きく救急医療隊と書かれたベストを身に着け、戦時に病院を攻撃してはいけないという国際人道ルールに準じる形で、デモの最中に怪我をした人たちの救援に当たった。また文中にも述べられているように、彼らはそれが警官でも応急措置を施すことをためらわなかった。

中でも公共医療医師協会の馬仲儀・会長(注・女性)は、本書で語られる現場ボランティアの他、公共医療関係者によるデモ関連の負傷者対応について何度も公共の場で発言をしてきた人物である。勤務先の病院に負傷者が運ばれてきた際にも、警官が診察室や措置室に入ってきて医師や看護婦たちを押しのけて負傷者を尋問するという行為に対して、医療関係者の立場から不満を表明したこともある。

また、公共医療医師協会やその他の医療関係者の組織は、それぞれ一市民団体として、デモのきっかけとなった「逃亡犯条例草案」にも反対の声を挙げた。ただし、そんな医療関係者もそれらはその責務遂行とは別のもので、勤務は勤務、抗議は抗議という姿勢を貫き通した。さらにそれに加えて馬氏自身を含め、多くの医療関係者が覆面をつけ、デモの前線近くにスタンバイしてその医療知識を負傷者の救護に投じていたことも明らかになっている。

またソーシャルワーカーも、それぞれが所属する機関からの圧力を感じつつも、その専門職としての社会的責任を果たそうと奮闘した。

ソーシャルワーカーは日本では印象が薄いが、イギリス領だった香港では常にその存在は尊敬されるべき存在だった。正直、筆者は香港に渡って初めて「ソーシャルワーカー」という職業の存在を知ったほどだ。大学には哲学などに並んで社会福祉学部が存在し、毎年多くの卒業生がきちんと資格試験を受けてそれを職業として選ぶという道を選んでいた(日本ではソーシャルワーカーは資格職ではない)。

本書ではそのソーシャルワーカーが2人登場する。1人は社会問題に介入していくソーシャルワーカー組織の代表者、1人は抗議活動と警察のそれぞれの行き過ぎを現場で整理する立場として。日本には「生活相談員」と位置づけられるソーシャルワーカーがそんな場に出ていく習慣はもちろんなく、「ソーシャルワーカー」という職業の持つ役割が根本的に違うことがわかるだろう。香港にはこうした社会秩序を維持するための西洋的なソーシャルワーカーが存在していたが、2019年のデモ後、特に2020年に「香港国家安全維持法」(以下、国家安全法)が施行されてから、ソーシャルワーカー組織及びその職務内容が大きく縮小化され、それにともなって社会的地位も変わりつつあり、彼らの役割は社会性を持つそれではなく日本のそれに近づきつつある。

●なぜ、「和」「理」「非」の市民がデモを支持したか。

『時代の行動者たち』はこうした、参加者の「特性」をもとに、彼らとデモの関係を論じる一冊である。残念ながら、原著がもともとかなりの厚さゆえ、日本語版も税込みで6000円を超える価格にならざるをえず、その結果、興味はあれど……という方も多いことだろう。正直、わたし自身もどんなに興味のあるテーマの書籍だろうとも、このお値段だと尻込みしてしまう。

そのため、本書をぜひ買ってとはそう簡単に言えないが、ぜひ地域の図書館などに要望を出して、手に入れてほしい。読んでみると、あのデモをなぜ「和」(平和的)、「理」(理性的)、非「非暴力」が大前提だった香港市民がなぜ、そしていかにして支えたかを理解できるはずだ。

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