【ぶんぶくちゃいな】香港「BNOパスポート」狂騒曲
「するの?」「もうした?」――香港で昨年6月30日に「香港国家安全維持法」(以下、国家安全法)が施行されてから、「移民」はまるでヒット中の映画の話題のように人々の口に上るようになった。国家安全法とセットになっているところは、映画とポップコーン、あるいはコーラとの関係に近いかもしれない。
1997年の香港主権返還前の10年間をこの土地で過ごしたわたしにとっては、ある意味「かつて見た光景」である。
1984年に中英共同声明が結ばれ、香港市民には発言権も与えられないまま一方的に中国への主権返還が決まり、大騒ぎになった。というのも、もともと香港市民は中国共産党政権下の中国から逃げてきた人たちだったからだ。特に共産党政権の設立とともに、家財一切をイギリス領香港へと持ち込んだ上海出身の資本家たちは再び競って海外への脱出を試み始めた。だが、このときの一般市民はというと不安な気持ちを抱えつつも、「移民」という手段はまだ金持ちやコネのある人たちの特権のように考えられていた。
しかし、1989年に起きた天安門事件で様相がガラリと変わる。この事件で多くの大学生や一般市民が犠牲になり、全国で関係者のパージが行われたことに恐怖をつのらせた。元学生リーダーたちが香港の協力で海外に逃げ出したというニュースに励まされ、また自分がその香港の一分子であることに誇りを感じつつも、自分たちも主権返還前に逃げ出す手立てはないものかと探し始めたのだ。
そこから移民情報のハードルがぐぐっと下がった。聞いたこともない小国のパスポートを売りにする移民手続き(そしてその中には詐欺も)、カナダやアメリカでは水道や電気の技能を持つ人が移民審査で高評価されると聞いて配管技術を学ぶためも夜間学校に通う人たちも出た。昼間はどこぞのぴかぴかのオフィスで部下を携えて仕事をしている人が、夜は配管工の学校に通っていることを笑う者は誰もいなかった。
また、産休を終えて帰ってきた同僚が語るカナダでの出産経験にランチを食べながらみんなで耳を傾けたり、男性の同僚も熱心にアメリカの出産事情を話題にするようになった。
そして宇宙飛行士を意味する「太空人」という言葉が飛び交うようになった。妻子をまず先に外国籍を取らせるために移民先に送り出し、自分だけ香港に残って生活資金を稼ぐ人たちのことだ(そこから離婚に至るという悲劇もあったようだ)。それまで子供一家と一緒に暮らしていた老人が大きな家に取り残され、祭日に東南アジア系の住み込みお手伝いさんと一緒に過ごす様子を目にするのも珍しくなくなった。
天安門事件直後に働き出したわたしが覚えているのは、仕事先の担当者と親しくなれた、と思ったら、次々とその人たちが「移民」を理由に辞めていく事態に直面した。当時はSNSもメールもなかったから、「知り合い以上友達未満」で姿を消した相手と繋がり続けるすべはなく、やるせなかった。
それでも当時は、一部にまだ「先行きには不安はあるけれど、まだわからないし」という楽観もどこかにあった。子供を生んで戻ってきた同僚だって「やっぱり香港で暮らす方が楽だわ」と笑っていたし。
そして実際に、1990年代の中国経済の飛躍、その影響を受けた香港経済の好調ぶりに、かつて香港を出ていったうちかなりの人たちが外国パスポートを手にして香港に戻ってきた。
だが、その人たちも今、選択を迫られているはずだ。国家安全法の施行以降、台湾に脱出する人が激増した。日本にも投資や留学目的で「唾付け」をし、長期滞在ビザを取得しようとしている人が増えている。
今がかつてと違うのは、ここ20年間に香港人の国際感覚がかなり変わり、理想の移住先としての選択肢が欧米ではなく、近場の台湾や日本にも向けられていることだ。
そんな騒ぎの最中に、イギリスによる英国国民海外パスポート(British National Overseas Passport、以下BNOパスポート)所持者向けに、移民を視界に入れた新しいビザ政策が発表され、早速その申請受付がこの2月1日に始まったのである。
●旧宗主国イギリスが残した「地雷」
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