【ぶんぶくちゃいな】「撤回」はしたものの…香港市民の怒り続く

今年の9月28日は、2014年に香港であの雨傘運動が始まった日から5年目にあたった。

それは同年8月31日に行われた、中国中央政府下の全国人民代表大会(全人代)の会議において、香港で2017年に行われる予定だった行政長官選出のための初めての普通選挙の「細則」が、香港市民からすると「一方的」に決定されたことに対する抗議デモから始まった。

この細則は中国の最高議決機関である全人代による決定ということになっている。しかし、実際は文字通り全国から「選出された」人民代表全員2980人が集まる全体会議は、毎年3月に1度開かれるのみである。前述の香港行政長官選挙細則を含め、その他の議決はすべて全人代の常務委員175人が代理で決定し、全人代の名前で発表するのが恒例となっている。人民代表はもちろん、中国共産党の覚えめでたいことが大前提だが、その全人代を代表して議案を決定する常務委員175人は完全に「ガチ」な共産党シンパのみである。つまり、そこで決定された同細則は直接中国共産党の意図をくんでいるといって差し支えない。

その細則では、「広範な代表性を持つ指名委員会をまず組織」し、立候補希望者はその「指名委員会メンバーの過半数の支持を得る」ことが義務付けられている。そのうえで「立候補者は2、3人に制限」し、そこから「市民が投票で選」び、「中国中央人民政府が任命する」こととされた。

市民は、立候補者に対して「指名委員会過半数の支持」「候補者は2、3人」というふるい分けが行われることに激怒した。さらに「指名委員会」は「広範な代表性を持つ」と形容されているが、実際のところ前任の行政長官を選出した選挙委員会がそのまま横滑りすることになっている。つまり直接選挙導入以前に行政長官を選んでいた「特権階級」が、直接選挙で市民が投票する相手を決めるというのだから。そうなれば、民主派の候補はこれまで通り排除、いやそれ以前に正式な立候補すらできないのは確実だった。

この香港市民の頭を飛び越えた、一方的な細則決定に対する抗議活動が呼びかけられ、9月から学生、特に大学生を中心に授業スト、抗議集会が頻繁に繰り返された。9月26日金曜日には、その日の授業を終えた学生や勤務帰りの市民らが、香港島アドミラルティにある政府庁舎前へと繰り出し、大規模な集会、そして警察との衝突に発展したのである。

そして、28日(日曜日)午後、抗議の声を上げる市民たちに警察が催涙弾を打ち込んだことで、事態が一変した。それまで見守っていた市民が激怒、自宅を飛び出して抗議の隊列に加わった。こうして膨れ上がった市民が政府庁舎そばの路面を占拠して座り込んで始まったのが雨傘運動で、路上占拠は強制排除されるまで79日間続いた。

なお、「雨傘」とは警官隊が使ったペッパースプレーを避けようとして傘が使われたことに由来する。最前線にいる抗議者のために、後ろの方から傘が前へ前へと手渡しされ、さらには激しい衝突の後にぼろぼろになった傘が転がっている…印象的なそんな光景からついた名前である。だが、それは今ではすっかり見慣れた光景になってしまった。

そう、あれからもう5年も経ってしまった。そして、今年6月9日に始まった「逃亡犯条例改定案」(以下、改定案)に反対するデモはすでに100日間を超えた。

●市民は納得していない

ここから先は

6,641字 / 6画像 / 1ファイル
この記事のみ ¥ 300

このアカウントは、完全フリーランスのライターが運営しています。もし記事が少しでも参考になった、あるいは気に入っていただけたら、下の「サポートをする」から少しだけでもサポートをいただけますと励みになります。サポートはできなくてもSNSでシェアしていただけると嬉しいです。