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4月を振り返って「コロナ禍で感じる安らぎについて」

かなり久しぶりの日記です。三日坊主どころか、かれこれ2週間もほったらかしです。全然ダメだ自分。

さて、今日で4月も終わりです。今月はとてもとても長く感じました。

コロナ禍により、さまざまなことが日々変化していくなか、私のいちばんの変化は週末に行っていたマラソン大会取材が全くなくなり、週末の時間の過ごし方が変わったことです。

さらに、夫も在宅勤務が増えたので、家にいることも多く、なんだか毎日曜日の感覚がとても曖昧です。さらにもう世間はゴールデンウィークということで、もともとこの時期は曜日感覚なくなるのですが、いまはもう毎日が日曜日というより毎日が月曜日でもあり水曜日でもあり金曜日でもあり、という感じ。ゴミの日を目安に動いている感じです。エッセンシャルワーカーの方々には感謝しかありません。

外出自粛と休業要請という、私たちにさまざまなプレッシャーを押し付けるだけ押し付け、その実態がわからなくなっている政府による緊急事態宣言は、やはり、予想通り、来月6日で終わることはなさそうです。この調子でいくと、5月いっぱいは続きそうです。

6月の梅雨を前に再び感染者が増えるような気もするので(喘息は季節の変わり目に酷く出ること考えると湿度の高さも楽観視できないきがする)、猛暑になるであろう夏休みも外出を控えるように、となり、こうなったらやはり9月にーってことで、ここへきて急速に学校の「9月始まり」が政治的な議題にあがってきました。

これについても、反対賛成どちらの言い分もあるのだろうし、そのどちらも正しいのでしょうけれど、こうやってなんか、なし崩し的にいろんなことが変わって、社会の制度が変わっていくのは、必然のような気がしていて、私は個人的に9月始まり、に、なるような気がしています。逆にいえば、変えるならこの混乱のタイミングがいちばんなわけで、これってまさに、教科書に墨で黒く塗ったあれだよな、とか、「神風が吹いた」といったあれだよな、とか、黒船が来たあれだよな、とか思ったりするわけです。

私の住む日本列島はその名の通り、周りに海に囲まれた島国なので、中国大陸や朝鮮半島、東南アジア諸国、インド、中東、ヨーロッパ、アフリカと国境を接する国々とは歴史的なあゆみは違って、だから感染症に対しての向き合い方も国としての方針はぼんやりしています。

けど、一方で、都道府県境ではけっこう緊張感もっているようで、いってみればいまは「おらが村ファースト」みたいになっていて、国道では県境で他県ナンバーに注意をするなんて動きもあるようです。

これなんて、江戸時代の関所と何が違うの?って感じですけれど、向こう三軒両隣とか、村八分とか、なんか、人が集まってることによるさまざまな社会性って、本質的にはグローバルだなんだと言われるいまになっても、ローカルルールはあまり変わらないのかもしれませんね。まあ、栄養状態などがその頃よりよくなっているでしょうから、当時よりは長生きしているし、身長体重も増えてますけれど、まあ、大きくみたらほとんど些末なことなのかもしれません。

医療崩壊や経済的損失、さらに教育の停滞もあり、それらは問題だし、どうにか解決していかなければいけないのでしょうけれど、1人の個人として、肉体を持ち時間認識のある社会的な人間としては、いままでのとにかく猛烈に働いたり遊んだり生きていた時間が、少し異常だったような気もしています。

コロナ禍を経験しているいま感じているこの感覚やこの時間の使い方が、コロナ禍の前のように戻ることは決してなく、それまでが幸せでこれからが不幸というわけではない、ということだけは、いま確信しているんですよね、、、

「早くコロナ前のように〜したい」という想いにかられたり、そう人に言うこともあるのですが、過去に戻ることは決してないし、考えてみたらコロナ前の生き方が100%素晴らしかったわけでもないので、この先の未来というか、1か月後も何が起こるのか全くわからないけれど、それこそ自分の力ではどうにもできないこととして、今の状況のなかでやれること、やりたいこと、を、ゆったりこれからも続けていきたいと思います。

なんとなく「こうすればああなる」的なことに、ほとほと疲れていたので、誤解を恐れずにいえば、いまのこの先の見えない状況に心安らぐときも多い私です。この気持ちをもう少し、うまく言葉にできるようになるのが、私のこれからの生きる目標と希望かな。


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