羨ましくて、死にそう。
薄々気づいていた。低い自尊心と、強い自己愛。
見た目の悪さなんて、とっくの昔に克服したつもりでいた。
色々なものへの憧れなんて、とっくの昔に昇華したつもりでいた。
自分は自分の世界観で、生きているつもりでいた。
まさか20代も後半になってから、こんなに揺らいでしまうなんて、思わなかった。
完全に予想外。このまま憧れの30代に向けて、自分が完成していって、磨かれていくのだと思っていた。
羨ましくて、死にそう。
音楽がやりたかった。映画に関わりたかった。仲間が欲しかった。
撮ってみたい、撮られてみたい。表現者への憧れが、爆発している。
自分なりに文字にしたり、音にしたり、撮ってみたり、細々好きなことができていたのかもしれない。だけど、この現代の溢れるメディアに目を向けると、私より若くて才能のある人がたくさんいて、みんな行動していて、身になっている。
たくさんの作りかけた欠片は、欠片でしかなくて、何にもなっていないということが
身にしみて痛い。もう治ったと思っていた浅い細かい傷に滲みて痛い。
いつやっても良いし、小さくても弱くても良い。言葉では分かっているけど、同年代の活躍を見ると羨ましくて死にそう。この栄光の裏に既に何年もの下積みがあると知るほど、羨ましくて死にそう。
自分勝手で傲慢な自己愛。その割に卑屈になって低い自尊心のままの自分に甘える。
落ち込むことが何よりも簡単だと、知っているはずなのに、それほど大きな壁を乗り越えたことはなかったのかも。
後悔はしない。自分の選択に責任を持ちたいと思って生きている。
羨ましくて死にそうなんて、思っている自分のことも別に嫌いになった訳じゃない。
ただもう少し、今よりギアを上げて生きていきたい。
羨ましくて死にそう、なんて漠然とした気持ちに押し潰されるようなダサい人間にはなりたくない。羨ましいと素直に思えるように、自分は自分を知らないといけない。
強い自己愛に改めて気づいて、自分を痛々しく感じている。でもこれだけ自分の中にエネルギーがあったのだと思うと、今までやり切れていなかったこともまたやってみようと思える。
2年間、屍みたいに生活した。生きている心地がしなかった。これからは、前みたいに自分のやりたいこと、好きな自分と生きていく。死ななくて、良かったと思えるように。
生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねば良い
生きてることが辛いなら/森山直太朗
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