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自分の可能性

中学生の時、特に勉強が好きだった訳ではないが、普通の高校へ行くつもりだった。
2年生の夏休み前、三者面談で「コイツは工業高校へ行かせます」と父が発言。青天の霹靂。担任は入試に失敗する生徒が減ることを喜ぶ。本人不在。

「他の学校へ行くのなら家から出て行って、奨学金でももらうか新聞配達でもして自分で授業料払え」
「普通科なんか行ってもツブシが効かない」
「工業高校の電子科へ行け」
工業高校を卒業してどこかの会社へ就職すること以外の選択肢が認められない環境で過ごす。またしても本人不在。

小学6年生の時に近所のお姉さんからクラシックギターをもらう。
音楽は変声期で高い音が出ないことに対して先生から理解をされなかった。5段階評価の通知表は毎回「2」。先生のことがとても嫌いだった。
それでもなぜかギターを弾くことには、とても興味があった。
平塚駅近くの楽器屋さんへ行って、新しい弦とチューニング用のピッチパイプを買ってきた。

ピッチパイプはハーモニカみたいな音がする。

教則本は父が買ってきた。荒城の月、戦友(軍歌ですね…)、禁じられた遊び、湯の町エレジー(伊豆の山々~)、悲しい酒(美空ひばり)というような曲目。
小学6年生をどうしたいんだよ……

高校生になってエレキギターを買った。2万円。

ノーブランドのフライングV。見た目で選んだ。

ギタリストになりたい。漠然と思っていた。
体育の授業で左手の小指をバスケットボールで負傷した。
突き指だと言われたが、2ヵ月経っても痛みが引かない。
親に言って病院へ行くと第一関節が剥離骨折している、しかも変な風にくっついているとのこと。元に戻すには時間も費用も掛かる。
体育の授業でケガをしたということで、受診費用は学校が出した。体育の先生から謝罪があった。謝罪されても元には戻らない。

バンドをやっていたので、文化祭でステージに立つために練習をするが1時間も弾いていると腫れてくる。プロを目指すことはあきらめた。

高校を卒業して社会人になって最初のGW。
ヒマを持て余していたのでパチンコへ行ってみた。
たまたま同級生がいてスロットを勧められた。500円だけコインに換えて始めるといきなり大当たり。
そのまま近くの質屋へ行ってモーリスのW-40 を購入。学校の帰りに毎日のようにギターを眺めに行った店だった。TAB譜を買ってきて趣味程度にはギターを弾いていた。

今となっては輸入禁止の木材が使われている

いつ頃からか「ギターを作る職人になりたい」と頭のどこかで思うようになった。

あの工業高校の電子科で勉強して、はんだ付けも出来るようになったからバッチリと思っていたが、当然の様に素人とプロのレベルの違いを思い知った。
ほとんどの先輩方の作業着の襟にはこんなのが付いていた。

二級技能士章。ヤ〇オクに出品されていた……

気になって上席の方に聞いてみると「これは電子機器組み立て二級合格をしたらもらえるよ。田中は工業高校電子科卒業だから、実務経験1年で受験資格を得られるから来年受けて。普通科卒だと実務経験2年ね」と言われた。初めて工業高校電子科卒で良かったと思った。

翌年社内にある職業訓練校で指導をしていただいた。
結果、最年少二十歳で合格することが出来た。
工業高校で勉強したことが下地となり、とても役に立った。

こうなると同期の中でも頭一つ出ているので、目を付けられるようになる。
機器製作科の保守部品組み立てが担当だったが、翌年の4月から検査を担当することとなった。今はもう見ることが少ない、FDD(フロッピー・ディスク・ドライブ)の組み立てラインの最終工程で検査をしたり、FA向けコンピュータに搭載する電源の製造ラインの最終工程で動作確認をしたり、耐圧検査をしたりと、モノを作ることが無くなった。

なんかおもしろくない。だんだんそう思う様になってきた。

ある日、高校の同級生だった友達から連絡が来た。
自己啓発の研修のお誘いだった。
ある程度自己投資は必要である、ということを電子機器組み立てに合格した時に感じていた。
自分の中の水面下でもやもやしていることが、顕在化してきたタイミングだったのかもしれない。
でも「自分はこれ以上成長しない」と二十歳そこそこで、とんでもないことを言っていた。
簡単に言うと自分のことが嫌いだったのだ。
今の今まで自分のことを自分で選択して行動してきていない。
全部親が決めていた。学校も就職先も、自分が乗る車でさえそうだった。
そんな言いなりでしか動いてこなかった自分が嫌いだった。
成長しないのではなく、死んでいたのかもしれない。

自己啓発の研修は目からウロコの連続だった。
なんせすべて自分で選択していかなければ始まらない。
自分で選択した結果がうまくいったときは、とてもうれしかった。
いままではどうだったろう。自分で選択していなかったからうまくいかなくても、そこに責任が発生していない。どこか他人事なのだ。
だから高校に入学しても勉強に身が入らなかった。とりあえず及第点が取れていれば良いと考えていた。
自分で選択して一生懸命やること。そうすればおのずと結果は付いてくる。
研修でたまたま建具製造の仕事をしている方がいて、自分の夢を伝えた時に「自分の会社で木材加工の知識を勉強しないか」とお誘い頂きました。

自分の人生の主役は自分である。脚本も自分で書かなければならない。
自分の可能性を自分が信じなければ、誰が信じるというのだろうか。

そう思うとあとは自分に正直になるだけで、会社に退職願を出しました。
課長から検査業務がイヤだったら元に戻す旨を言われた。自分のやりたいことが見えたことを伝えてお断りさせていただいた。いろいろと面倒を見て頂いた課長だったのでとても辛かった。

建具職人への転職を機に一人暮らしをすることを決めました。
7年後にはまた電気関連の仕事に戻ってしまうのですが、そのことはまた機会があれば書かせていただきます。

私たちは毎日とても多くの選択をしている。
その選択に対して責任を持たなければならない。
結構当たり前のことだが、しっかりと責任を持たないと大変なことになる。
そこに気付くきっかけをくれた方々には大変感謝をしています。


#あの選択をしたから


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